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「安全なはずの場所」って?

凄惨な事件事故は度々繰り返され、テレビから流れてくる情報であれば目を覆い、耳をふさいでやり過ごせるものを、まさか自分が巻き込まれるなんて、と、驚きと恐怖と、やり場のない怒りとくやしさ、失ったものの大きさにつぶされそうになる人たちがいる。

最近耳について離れない。

「安全なはずの場所でこんなことが」。

最近立て続けに起こっている。学校、公園、大人たちに守られながら歩く歩道。

そろそろ気づかなきゃいけない。
「安全なはずの場所なんてない」、ということを。


明日死ぬかもしれない。
わたしは、毎日そう思って生きている。
生きていることと死ぬことは紙一重。毎日崖っぷち。戦争があろうがなかろうが、気象予報ができようができまいが、誰もが「死」と隣り合わせにあり、そして、生かされている。

ママ、明日死ぬかもしれないからね。

わたしは度々、娘たちにそんなことを言う。

ママがいなくなっても、しっかり生きていくんだよ。あなたたちの中に、生きる力は確かにある。もしママがいなくなっても、大丈夫だからね。

もちろん、あなたが明日死ぬかもしれない。

だから、今日、愛してるよ、と、あなたに言うの。
大好きだよって伝えるの。

そしてママはやりたいことがたくさんある。この世に生きるママの役目を知ったから。毎日、全力でそれに取り組む。それがママの生き方なのかな。

いつかママが死んだら。
それは、ママの死が、誰かの学びになることだと思う。
ママが生きている以上に、周りがママの死から得るものがある時だと思う。
だから、ママは、死ぬ時が来たら、後悔も未練もないからね。

子どもたちは、この話をするととても嫌がり、耳をふさぐ。時に泣き出すときもある。でも。これは本当に本当のことだから。その時が来たら、逃げられない事実になるし、実際起こっていること。

それでも生きていくって、辛い。
でも、それでも生きていくの。しぶとく。


人が、凶器になる。
車でもない。機械でもない。AIでもない。
わたしたちは、誰もが知らないうちに殺人兵器を生み出し得る。
人は、どんなに自分が非力だと思っていても、ただ存在することで、他人に影響を及ぼす。
そしてこの時代、たった一人の人が、全世界の人へ、影響を及ぼし得る。人が操る「道具」はそういう進化を遂げているように思う。
たった一人の人が兵器に仕立て上げられる世の中を、どうにかしたい。
わたしの小さな力は、その役目の一端を担うように思う。


物理的な距離がなくなってしまった今。
あえて物理的な距離を作ることに価値が生まれる。

いつでもどこでも誰かと繋がれる環境が整ってきた今。
あえていつでもどこでも誰とでも繋がらない環境に価値が生まれる。

人間的な絆が希薄になってきてしまった今。
あえて人間的な絆を作ることに価値が生まれる。

世の中がシフトすることは、新しい価値を生む。

「安全なはずの場所」は初めから無いことに気付かないと、「安全な場所を作る」価値は生まれない。

「安全な場所」とは、何だろうか。
それは、物理的な場所ではないのかもしれない。



これまでの経験で、なんとか自分の役割に気づくことができました。与えられた役割を全力で全うするため、「わくわく」と「ドキドキ」のど真ん中を走ります。 サポートでの勇気づけ、素直に嬉しいです\(^o^)/