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どこに相談していいかわからない~人に何を与えられるか

「どこに相談していいかわからない」という思いを抱えている人は多くいらっしゃると思います。健康のこと、今後のことから、スマホ操作や料理など日常のちょっとしたことまで、内容は様々。


特にコロナ禍になってから気軽に人に聞くことや、そもそも人に会うことが減ってしまっている場合には、その不安の種は日々生まれ育ち、とてもお困りの状況かもしれません。


初回に「どこに相談していいかわからない」と投稿してから、早くも一年半が経っていました。
その間に、社会福祉士受験資格取得のための養成施設に通い、現場実習を経験させていただきました。


生きている間に、自分にできることは何か、どこまで安心を与えることができるか、今困っている人を救えるか。小さな始まりからとしても、想いをぶらさず活動してゆければと想います。
 

私の所信表明


①裏方であり主役として生き、死にます
出会うすべての人に対して心身の健康を願い、安心のためにできることを与えることに努めます。人生の終演までを支える裏方といえますし、パートナーでもあります。
そして、私も一つの人生を持つ主役です。自分だったらどうしたいか、どうしてほしいかを常に考えながら、共に取り組む多様な「私」を賛同者として募ってゆきたいと思っています。
 
②世界や地球のため、次世代のため
人に対して優しくできる状況は、個人の安心から生まれやすくなります。私たちが生きる世界や地球に対しての優しさも、不安が多いと思い至らない場合があります。安心して生活を営め、温かみのある社会で育った次世代の人が多く育ってほしい。そのためには、同時代に生きる私たちがお互いを認め、想いあえる社会を築くことが大切だと思っています。 個々人の違いは、次世代のためになるはずです。
 
③心を開き、心を開ける環境を与える
例えば大病を患ったとき、落ち込みはしながらも、病気のことをオープンにすることで支援者や有益な情報が集まってくることがあると思います。「つらいから話を聞いてほしい」そんなとき、相談してくれる立場でありたいと思います。そして1人ではないと気づいてほしい。そのためには、まず私が心を開き、想いや情報を与えていきたいと思っています。
「誰かに愛されていることを感じ、1人ではない社会」の実現を目指しています。
 
地球にとってはごく小さな存在である「私」が役にたてる範囲は限られます。それは十分なこと。「本来無一物」。(その解釈には勉強不足ですが)無から生まれ、様々な命を頂き、骨が残る。その不可思議を様々な命への感謝で済ますか、命を奪う「ヒト」の在り方を明確にするか、次世代の人が天秤にかけた時に、何かしら納得ができる生き方を与えられるか。現在を生きる私たちは、生きるということを左脳的にも右脳的にも、次世代のために魅力的にする責務があるのかもしれません。
 

今後の内容


私自身の専門領域であるエンディングに関わる領域に触れさせていただこうと思います。
特に、エンディングに深く関わってきたお寺による価値創造につなげられたらと願っています。死の手前手前、今生きている人に対して与えられることはたくさんあり、お寺はその拠点になりうると信じているからです。
 
次章は、Well Jiing !!「さあ、与えるお寺に集まろう」(近日スタート予定です)
 


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