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Well Jiing !!第4章、お葬式のニーズ(1)

前章に続き、寺がお葬式で与えられることを考察していきたいと思います。
お葬式ニーズで遺族がワカラナイ不安を大きく4つに分けています。
(1)今、何をしておけばよいのか←今回の考察
(2)いざというとき、どうしたらよいのか
(3)結局、何をどう考えればよいのか
(4)そして、いくら用意すればよいのか
 
第4章、お葬式のニーズ(1)
~今、何をしておけばよいのか~

◎生と死をつなぐヒントを

お寺(仏教)の教義には、生きることや死ぬことに対して様々な示唆に富みます。古からの智恵は、今と同じような「疫病の時代」や「争いの多い時代」を乗り越え、今に残る、承継されてきた内容があるはずです。

例えば法話は、なにも葬儀や法事のときだけの存在ではありません。「親しい人の死が近い方」に対して、適切な智恵を与えること、また、その手前で「元気な方」に死や生に対しての考え方を伝えていくことは「今の不安」の解消につなげられるものだと思います。それは、「ご自身の死が近い状況にある方」にとっても同様で、「今の不安」の解消になるはずです。

さて、本題である、「今しておいた方がよいこと」。これは、相談者の人生や日常、環境の中にそのヒントを発見できると考えています。
例えば、写真の整理をしてみること。家族との写真、友人との写真、旅行先の写真、様々に想起される出来事。たとえ今は介護に苦労し、悩んでいらっしゃるとしても、いい思い出もあった、私は、この人は、幸せだったと肯定的に人生を振り返ることができます。写真を整理するのは遺影写真を決めるためだけではなく、心を落ち着かせるための行為と言えます。

断捨離という言葉も行為も普及しました。衣服や書物、日用品、写真などを整理することはやはり物理的なことと心への作用が大きいと感じます。例えば、寺でフリーマーケットを開催するという案内を受けた近所の方は、強制的にではなく少し断捨離をしてみるかもしれない。寺の取り組みが行為を促し、心にも作用すればそれは素晴らしいことです。フリーマーケットがきっかけで久しぶりにお寺に来た人の悩みを立ち話で住職と話せるような機会があればより良い効果も生まれるでしょう。

何かあったらお寺に相談すればいいですよ、と言葉で伝えるのではなく、心で感じてもらうことが今お寺にできることだと思います。

死を近くに感じている方がした方がいいことは、個々の状況や心情により異なります。断捨離、映画や書物の推奨、行事へのお誘い、お寺は様々な方法を頭に浮かべながらもあくまで当事者ありきで応対する。その結果、安心して相談できるお寺を感じてもらうことができるのだと思います。

その結果、寺を使ってお葬式をできることを知ってもらうことや、お葬式のことを少し決めておきますか?といった話に発展する。
精神的な安心にはじまり、物質的な安心も提供できるのがお寺。その存在に親近感をもっていただくことが重要です。

◎どう伝えるか 宗祖が生きていたらどうするだろうか

日本の仏教には大きな宗派がいくつかあります。例えば、天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、そこからさらに分派も含めると非常に沢山のお釈迦様の弟子が日本には存在します。

それぞれの宗派には宗祖がおり、中学生の歴史教科書でも学ぶことかもしれません。彼らは衆生の救いのため、あるいは仏門を極めるために取り組み、多くの弟子を育てられた。あるいは、弟子が必然的に育ったのだと思います。
宗祖には強い信念があったはずですし、今ほどの情報社会ではないなかにあって、想像をしきれないくらいの知見をもとに市民と接していたのではないでしょうか。辻説法など、大衆に対する取り組みをされ、布教に対するエネルギーが大きかった。

今彼ら宗祖がご健在で有れば、令和の時代に何をなさるでしょうか。
YouTube?Twitter?オンラインサロン?それは想像の世界に置くとしても、少なくとも、今ある檀信徒にとどまらず、対象を広く、布教に勤しむのではないか、と想像します。 

つまり、死が近い人達に対してでもなく、檀信徒だけでもなく、智恵を授ける対象は、地域住民や日本各地に住まう人々です。

例えば、フリーマーケットと同時にお葬式のワークショップを行う。そのとき、物理的な対応の説明だけでなく、心に響く話を提供することが重要です。そして何より、傾聴の時間。告知上、デジタルを介して始まったつきあいも、信頼の構築には生身のつきあい(体温)が必要になりますし、当事者ありきの支援を提供する姿勢。そのような取り組みの数だけ、お寺の価値を高める芽はたくさん育つのではないでしょうか。

そしてお寺には、闘病平癒のお札、お守り、御朱印といった、形として安心を提供できるコトやモノがあります。必要に応じて、「私のために」対応してくれたら尚嬉しいことだと思います。

◎新しい当事者会も

コロナ禍や少子高齢化の時代、人と人のコミュニケーションが大切と言われます。お寺のある地域にも、コミュニティを求めている人、コミュニケーションが必要なかたが多くいらっしゃるのではないでしょうか。

都市部と地方の違いはもちろん憂慮しないといけませんが、移動もできる時代、場所を問わずコミュニケーションをできる時代です。
リアルでもオンラインでも、同じような状況にいる人ごとにテーマを絞って集まりを開催する方法は、お寺によるコミュニティづくりの可能性を秘めていると考えます。

例えば、「ガン患者の会」「難病の子供を持つ親の会」など疾病で分類した当事者会は、当事者の悩みの共有や知識の増加に、とても有益です。そのような当事者会の方々に場所を提供し、当事者会と共に発信に取り組む方法もあります。

また、疾病によらない分類、例えば「趣味」。趣味と死までをつなぐコミュニティはお寺ならではかもしれません。住職の趣味を活かしていますか?法務で趣味を犠牲にする必要も、実はないのかもしれません。

住職が鉄道好きでしたら、「鉄道好きの終活を考える会」を立ち上げると喜ばれるかもしれません。鉄道好き同士の会話、家族とはできなかった広がりのある専門的な話を、久々にできた。どこで撮った鉄道写真が自分のNo.1か、まだ行けていないところにいつか行けないか。振り返りと希望が入り交じることでしょう。美術館のように写真や模型に飾られて逝きたい、という声があれば、お堂でできないか、検証されてもよろしいかと思います。また膨大な写真をお寺の納骨堂でご遺骨と一緒にご安置しましょうか?という提案もできるかもしれません。参加者同士のつながりから、鉄道模型の継承の話も出るかもしれませんし、地域の子供たちに差し上げて欲しいという想いをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。スポーツでいえば、野球やゴルフなどを共に行うこともできるでしょうし、オリンピックやワールドカップのテレビ観戦も一人で見るより楽しいものです。

人が集えば、さまざまな想いが集合します。「今、何をしておけばよいのか(今の不安)?」その答えは、当事者にあり、お寺は物理的にも、心理的にも支援できることが多いと思います。 今という時に集中し、楽しく過ごすこと。そのような機会の提供は、安心の本質とも言えるのかもしれません。

長文お読みいただき、ありがとうございました。
次項では、「いざというとき、どうしたらよいのか(今の不安に対して)」を考察していきたいと思います。

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