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74 私的宣言あるいはわれわれの文明における唯一にして終極的な創作物である記憶能力抹消薬の、あなたつまり全人類への提案

 全ての楽曲は楽曲であるという点で似ている。全ての絵画は絵画であるという点で似ており、全ての小説は小説であるという点で似ている。人類十万年の歩みのなかでおよそ可能な創作物はすでに出そろった現今の状況において、創作の可能性は蕩尽された。過去の創作者の轍が地表のすべてを覆い尽くした結果として、「新たな創作」というものは不可能になったのだ。
 創作者の絶滅した今となっては、過去の創作物の紹介者が彼らの後釜を担ってはいるものの、それさえもわれわれに真新しい何物をも提示しない。ささやかな日々に喜びを見いだす試みも、それ自体がすでに食傷を催す。食傷から逃れようという志向、真新しいものへの希求、それ自体がすでにして食傷を催すのだ。
 われわれにとってほとんど不要と化した社会活動はそれこそ拷問的な退屈さで満ち満ちたものであり、昨今では外出する者の数さえ減少傾向にある。誰かと行き会い、会話を交わすとして、それこそどこかでいつか繰り広げられた会話の一例に過ぎない。
 人は人であるという点で似ており、われわれはもはや人に飽いてしまった。

 こうした食傷を拭うため、われわれは以下のように考える。先入観を取り払い、物事そのものに目を向けるなら、この世に似たものは一つもないのだ、と。少なくとも同一空間上を二つ以上の物体が占めることはないのだから、どのような個物であれ似たものはなく、リンゴや人や絵画などと固有名でひとまとめになどできないはずではないか。そもそもわれわれは、いやわたしは、今この時を常に初めてのものとして過ごしているのだから、いかなる物事に触れようと食傷など起こりようもないはずではないか。その時その場を認識するということは、常に驚くべきことであるはずではないか。
 それにも関わらずわれわれの生とはなぜこうも退屈で、面白味がなく、魅力に欠けるのか、その原因とは何なのか――と問うたとき、われわれが打ち倒すべきものが記憶であることは理解されよう。

 われわれが考案した、この呪縛から逃れるための唯一の方法が、つまり「記憶能力の抹消」である。特殊な薬を服用することで脳の記憶をつかさどる箇所を麻痺させ、既視感を拭い去り、結果的に本来ありえたであろう清新な印象のもとに物事を見直す――これら一連の試みに芸術的創作および鑑賞の源泉を求めたのである。この手法の画期的な点は、何かしら特別な状況や、特定の対象を前にせずとも、日常のあらゆる局面が芸術と呼ぶべき真新しさ、美しさ、奇抜さを帯びて創作者=鑑賞者の認識に迫ってくるという点にある。
 つまりこの薬は生のあらゆる局面を、鑑賞に値する芸術的作品と化す可能性を秘めているのである。

 当然ながら批判もある。しかしこのような現況にあって、鑑賞者の認識そのものの変容に創作の可能性を求めるのは、至極当然のことである。われわれの営みは作ることから、見ることへとシフトした。見ることそのものが創作であり、創作とはすなわち見ることなのである。
 とはいえこのような言説自体は新しくもなんともなく、ものの美の本質は鑑賞者の認識にあり、そもそも世界とはほかならない鑑賞者の世界なのだから、当たり前のことを言っているのに過ぎない。

 われわれの行き着いたこの状況から対照して見ると、諸悪の根源は記憶ということになる。記憶が物事から輝きを奪い、記憶がわれわれを過去へと繋ぎとめる。同時に、記憶による類型化がわれわれに未来を予見させ、予見される未来にわれわれの価値は先取される。こうしてわれわれは「この、これ」という比類のない生を失い、過去に鞭打たれ未来に鎖をつながれた実体のない傀儡と化すこととなる。
 誰しもがすでに気づいているように、われわれは今に生きておらず、だからわれわれはものを見ていない。ものの付け札ばかりを見ることに慣れたわれわれは、やがて付け札をものそのものと見誤るに至った。
 このような認識のからくりを理解してなおそこから抜け出せないのだとしたら、繰り返しになるが、それはわれわれが記憶に支配されているからに他ならない。
 根源的にはこの支配からの脱却を志向してきた芸術という分野そのものが、この支配そのものに絡め取られて機能不全と化した今、われわれに出来ることはこの薬を飲むよりほかにありえない。

 よってここにわれわれは宣言する、われわれの薬のみが人類を、いや他ならないあなたを、そしてこのわたし自身を、文明のこの死水から救いうる唯一のものであると。

 わたしはこれから薬を飲み、わたしが作り上げたこの醜怪な言語的創作物をさっぱり忘れ、絶対的に創造的な存在として生まれ変わるだろう。

 それでは皆様、さようなら。

 そしてまた、初めて出会おう。

 さらにまた、初めて出会い続けよう。


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