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「マイノリティ・リポート」フィリップ・K・ディック

 SF短編集。
 所収短編「マイノリティ・リポート」と「追憶売ります(トータル・リコール)」はハリウッド映画の原作。
「過去改変」「ロボットによる支配」「管理社会」「火星探索」等、様々な話が描かれている。そうだな、ディックについて特別詳しいわけではないが、本書から見たところの特徴とは何だろう。SF作家としては当然のことながら、現に成立している状況の裏に回って疑いを立てるという傾向性は強くある。とはいえ哲学的な追及は深くない。少なくとも本書所収短編からは、思想性よりも物語性に重きを置いているように感じられる。
 有名作家ではあるが、話の組み立てが特別上手いという印象はない。そこが難点でもあり、好ましい点でもある。突飛な状況に対する納得のいく裏付けが足りないようなところも感じられるが、展開や描写で読ませるようなところがなくはない。独特のグルーヴがある。「マイノリティ・リポート」などは特に、込み入った展開を敢えて上手く説明するのではなく勢いで読ませているという感がある。
 最近読んだテッド・チャンのSF短編集「失われた物語」は、極めて上手く出来ているのだがグルーヴがない。エモーションがないというわけではなく、むしろ積極的に感情を揺さぶりに来ているのが若干見え透いたところがある。ただグルーヴがない。あるいはクールだと言い換えてもいい。
 独断と偏見。
 どちらが良いとか悪いとかいう話ではないが、SFでグルーヴがある作品というのも比較的珍しいのではないか。
 ……いや、円城塔の作品のなかには、グルーヴが感じられるものもあるな。「烏有此譚」のグルーヴはすさまじい。これはクールなのにグルーヴがあるから怖い。冷たい炎のようなグルーヴが。
 閑話休題。


あらすじと感想(以下ネタバレあり)

【マイノリティ・リポート】
 予知により殺人犯を未然に逮捕できるようになった未来の社会。犯罪予防局の長官を務めるアンダートンは、自分自身が殺人を犯すという予知を発見する。何かの陰謀に違いないと、事の真相をあれやこれやと探っていく、という話。
 このあれやこれやが複雑というか、ちょっとわかりにくいところがある。読み返してみよう。
 当初、自分の後釜である新任の局員ウイットワーがアンダートンの失脚を狙って仕組んだのではないかと疑っていた(ウイットワー着任後、アンダートンが局内を案内している最中に予知を見つけた、というタイミング良すぎる展開もそれを匂わせている)。しかし局から出たアンダートンが、自分が殺す予定となっているカプランなる男のもとを訪ねようとすると家、でその配下が待ち伏せしていて連れていかれる。で、カプランと対面するのだが……カプラン側も予知カードの複製をどこからか入手していて、単純な興味からアンダートンを誘拐したという。結局、ウイットワーとアンダートンの妻とが共謀しているという仮説に至ったのだが、カプランは自衛の意味も込めて、そのままアンダートンを警察へ届けようとする。そこに現れるのが、フレミングという男で、変装セットなど一切合切を用意してアンダートンに手渡す。その後アンダートンはどうにかして犯罪予防局へ潜入し、プレコグ(予言者)の予言の記録庫のようなところで自分の予言を探すのだが、三人のプレコグにより占われた未来のうち、一人の内容が異なっていることを発見する。これが「マイノリティ・リポート(少数報告)」。これは、アンダートンが自分自身の予言を目の当たりにしたことにより殺人を思いとどまった、という少し進んだ未来を示したものだった。ところが、多数報告によってこの予言が打ち消されていた、ということらしい(一読したときにはわからなかったな)。「予言を見たことにより未来が変わる」という例がありうるのなら、他の潜在的犯罪者だって同じように、収監するまでもなくただ忠告するだけでよかったのでは? というように、犯罪予防局の意義が揺らいでいく。アンダートンは少数報告をカプランに提示することを考えるが、そうすると警察の信用が失墜してしまう。さてどうするというところで、フレミングが現れる。ああ、フレミングはカプランの部下だったのか。で、そこからなんやかんやで一端犯罪予防局へ戻ってウイットワーと話し合うのだが、どうもカプランは少数報告によって多数報告が無効になるという事態を根拠に、警察組織の解体をもくろんでいたらしい(で、結果的に自身が権力の座に返り咲くことを目指していた? その辺の動機は詳しく語られてはいないように思われる)。そこでアンダートンは犯罪予防局の信用失墜を免れるため、軍の決起大会に乗り込み、やむを得ずカプランを殺害する(予言は本当だったということを自ら証明するために敢えてカプランを殺した、ということ)。

 うん、込み入ってるな。AだったのがBになって、BだったのがCになって、というように二転三転する。その二転三転が、まあ読み返してみればわかるが一読したときにはちょっとよくわからなかったな。カプランが警察組織解体を考えていたのならそれ相応の準備が必要なはずで、偶然に乗じて事を為すにはあまりにも手回しが良すぎるように思える。特に最後の、軍の決起大会など前々から準備していなければそうはならないだろう。そうすると、カプラン自身はすべてを把握していたということになる。つまりカプランは、少数報告による犯罪予防局の信用失墜というシナリオをあらかじめ描いた状態で軍の決起集会を計画し、少数報告を含めた予知結果を導き出した、と。しかし、長官であるアンダートンでさえ想像できないようなことをあらかじめ把握していたというのは道理に合わないようにも思えるし、第一そのような描写もない。加えて言うと、そこまで綿密に考えていながら、アンダートンが組織を守るために敢えて自身を殺すという結末をカプランが思い描いていないというのも不自然だろう。全体があまりにも出来過ぎているのだが、その「出来過ぎている」という部分が、序盤は「ウイットワーの陰謀」という線で肯われていた。この線が中盤で外された辺りから、物語そのものが決定的にわかりづらくなっているように思われる。「この出来過ぎた状況は何者により仕組まれたのか」という前提で物語を読んでいたところ、前提が瓦解したので把握が困難になった、というような。しかも結局のところ「ウイットワー陰謀説」は棄却され「カプランの陰謀」であることが判明するわけだが、この陰謀も前記したように、偶然の出来事に乗じて起こしたものなのか、それとも完全な仕込みなのか、どこからどこまでが計画されたものなのかがいまいちわからないまま進んでいくのでなおさら把握しづらい。陰謀と呼べるのかどうかも怪しい。そして物語の筋としては、カプランの陰謀を阻止する方向へ動いていくのではあるが、物語が投げかける「犯罪を予知できたとして潜在的犯罪者を罪に問うことは妥当か」という最大の問題が、深く問われることもなく投げっぱなしで終わるところも不完全燃焼の感がある。結局アンダートンは警察の体面を守るためという理由から殺人に及ぶのだから、明らかに悪性が高いのだが、それにしてはあっけらかんと、さらっとした結末を迎えるというところも腑に落ちない。
 読者感情としては、というか自分としては、むしろカプラン側に肩入れしたいところではある。物語が提示する論理としても、結局犯罪予防局の行いにケチが付いた事実は変わらず、そもそも潜在的犯罪者と呼ばれた人々は収監の必要がなかった(予知を見せるだけで犯罪は防ぐことができた)可能性があるのだから、明らかな間違いは間違いと認めて素直に組織解体を、むしろアンダートン自ら率先して行うべきだった。そのような結論に至るのが自然に思われる。

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【ジェイムズ・P・クロウ】
 ロボットに支配された世界で、人間はロボットの世話係にまで貶められていた。定期的に行われる「テスト」で好成績をあげさえすれば高い地位を得られるものの、頭脳でロボットに勝とうなど到底不可能な話に思われた。そんななか、ジェイムズ・P・クロウなる人物が人間で唯一、文句のない成績で国の最高評議会の一員にまでのぼり詰める。クロウは実はタイムマシンによって答案をあらかじめカンニングしていたのだが、最初の評議会においてそのマシンを用いて覗き見た過去を提示することで、これまで忘れられていた人間の歴史を皆に知らしめ、すべてのロボットに対し地球から退去するよう命じる。

 うーん。アメリカにおける黒人差別問題を諷刺したと解説にあるが。これも作りがちょっとお粗末なんだよな。クロウがロボットに地球外退去を命じ、それにロボットたちがおとなしく従った理由がよくわからない。事実としてクロウはタイムマシンを使ってカンニングしていたわけだし、それでなくともロボットは人間を支配していたのだから、いくらでももみ消すことはできたはずだ。作中のロボットたちは人間然として描かれているので、保身に走るというほうが物語的にありそうなことではある。要求の重大さに比べて、ロボットたちがあまりにもおとなしく言うことを聞きすぎているように思われる。そこらへんのつめが甘く、読んでみて納得感がない。そしてクロウのキャラクターもよくわからない。緊張しているのか余裕があるのか。超人的に頭がいいのか普通に頭がいい程度なのか。
 まあ短いから飽きずに読むには読めたし、面白くないわけではない。

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【世界をわが手に】
 暇になった人類が余技として世界球なるものの作成に打ち込む。地球そのもののミニチュアのようなもので、実際に生物の進化の歴史を再現するものだった。定期的にコンテストが開かれるのだが、終了後なぜか皆丹精込めて作り上げた世界球を破壊するのがならわし(?)になっていた。そこで、世界球とそこに生息する生き物に対する倫理的問題を提起するのだが、一笑に付されてしまう。物語の最後に未曽有の災害が発生し、その世界そのものが世界球であるかのような示唆がある。

 微妙。なぜ世界球壊すの? という動機の部分で納得のいくだけの説明がなされていないように思われる。そのため世界球に対する倫理的問題の提起という流れに全然説得力がない。世界球についての詳しい説明もないのでちょっとよくわからない。この話は微妙だ。

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【水蜘蛛計画】
 未来の話。とある問題の解決のため過去のプレコグ(予知能力者)を未来へ誘拐してくる計画が持ち上がる。そこで未来人が訪れたのは、現代のSFコン会場だった。つまり現代のSF作家は未来で予知能力者と見なされており、彼らの創作はそのまま予言となって未来で実現していた、ということらしい。目当てのSF作家を誘拐してくるのだが、未来で逃げられてしまいどたばたの捜索劇が繰り広げられる。

 ギャグ。面白い。

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【安定社会】
 進歩が行き過ぎて安定状態に達した社会。ベントンは管理庁から呼び出され、「君の発明品は受理できない」と告げられるのだが、身に覚えがない。装置と設計図を引き取り家に帰り、家で試してみるとどうもタイムマシンらしく、絶滅したはずの森や小麦畑が辺りに広がっている。そこで奇妙なガラス球を見つけ未来へ持ち帰るが、不審に思った管理庁の職員が家へ詰めかける。そこでひと悶着あり、どうやらガラス球は「呪われた都市を閉じ込めた代物」であるらしいことがわかる。ガラス球は意志があるように転がり、やがてベントンに踏まれて割れる。すると世界は一変し、一変したという記憶さえ失われ、人々は金属生物に奉仕する奴隷と化す。

 これはいいぞ。面白い。安定世界という着想自体にまず惹かれた。が、期待を裏切るかのように、安定世界という世界背景が深く語られることはそれほどない。代わりに出てくるのは、過去世界から古代の呪われた都市の閉じ込められたガラス球を持ってくる、という謎めいた着想。この、どこからの連想でもない、ぽんと出てきたような、謎めいた着想が面白い。そして、ガラス球が割られてしまった途端、そうなる前の事が忘れ去られているというラスト。これはせっかくの「安定世界」という着想/洞察を無に帰すような終わりではあるが、だからこそ物語全体を破壊するトンデモ展開として効いているように思われる。
 そこまで意図してやったのではないだろう。こうして分析してみると、ギブスンは物語の持つ思想性/テーマ性を追うような作家でないことがわかる。思想的側面はあくまでも味付けで、メインは純粋に物語の展開そのものにある、というように。そうしたギブスンの創作姿勢が、(他の作品では物足りなさやわかりにくさという負の側面を少なからず表している一方で)この作品では奏功しているように思われる。

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【火星潜入】
 火星から地球への連絡船のなかで、三人グループが彼らの体験を話す。彼らは火星のとある都市まるごとを切り取ってガラス球のなかに封じ込めて盗んできた。要人の多いこの都市まるごとを人質によることで、地球側の権力を強める思惑だった。話し終えた後、同じく潜伏していた捜査官に捕えられる。

 うん、まあ普通。火星の描写がいい。ガラス球のなかの都市、というのは上記「安定世界」と同じ着想だが、関連はないように見える。

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【追憶売ります】
 火星に行きたいという強い願望を持った男クウェールが、到底叶わないその願いをどうにか叶えるため、過去改ざんを生業とする「リカル株式会社」を訪れる。火星滞在の、リアルよりなおリアルな記憶を植え付けることで、実質的に「行った」ことにしようという目論見だった。クウェールはそのための施術を受けるのだが、意識の最深層へ記憶を植え付けるための昏睡に至ったところで、忘れられていた記憶が呼び覚まされる。実はクウェールはインタープランの秘密捜査官としてすでに火星を訪れており、その時の記憶は組織によって抹消されたのだった。身の危険を感じた会社側は無かったことにしてクウェールを帰すのだが、実は彼の頭には発信機的なものが仕込まれており、秘密を知ったことがインタープラン側にばれてしまう。自分を始末するべく自宅へ来た捜査官たちと相対する時、クウェールは暗殺者としての過去と身のこなしを思い出し逃走する。その後、逃げられないと悟ったクウェールは組織と交渉する。「過去抹消には同意するが、その代わり自分の望む過去を代わりに植え付けてくれ」と。そこでインタープラン側がクウェール自身から引き出したクウェールの望む過去とは、「子どものころ地球侵略にやってきた宇宙人に対して親切を働いたら、『あなたが生きている間は侵略せずにおきます』と約束された」というものだった。この奇妙な夢想をリカル株式会社のもとで植えつけるべく施術するのだが、昏睡に至るとふたたび、それが夢想などではなくクウェール自身が忘れていた過去の記憶だったことが判明する。

 うん、面白い。ギャグテイストの話は大抵面白い。しかし本書のなかでは作りもしっかりしている方ではないか。火星に行きたがっていたしがないサラリーマンが、秘密捜査官であり殺し屋であった過去を思い出す、というのはキャッチーな設定。キャラが変わっていくのも面白いところ。いや、何よりもまず、記憶改ざんによって「火星に行ったことにする」という着想が面白い。われわれは出来事を記憶によってしか把握できない(記録も記憶に紐づいて把握されるしかない)以上、それを挿げ替えることが可能となった時点でそもそも記憶というものの意味合いそのものが変わってしまいそうではある。記憶を改ざんしたという事実そのものが認識できないように記憶を改ざんできるのなら、「記憶が改ざんされているかもしれない」という疑いは、どのような記憶に対しても、いつまでも残り続けるだろうから。そうなると社会不安が生じるだろう。
 しかし、「本当の記憶」とは何か、というのは答えの出る問いだろうか。そうは思えない。答え合わせができないから。今憶えている昨日の記憶と、昨日の出来事を書いた詳細なメモとを比べれば、メモと合致したものが真実の記憶で、合致しないものが偽の記憶で、想い出せなかったものが忘却した記憶だ、と単純に見なしがちだが、そのメモの内容は、「昨日の出来事を書いたメモであるという記憶」によって担保されている(加えて言うと、「書いたものが突然消えたりしない」等といった因果性にも担保されていると言えるが、因果性を捉えることそれ自体もまた記憶によりなされざるをえない以上、それは結局のところ記憶に担保されている)。記憶による担保のない記録という在り方は不可能なので、すべての記録は記憶により担保されているということになり、実のところ過去というものには確たる地盤がない。実のところ過去の真偽というのは「納得の問題」に過ぎないと、言わざるをえないのではないか。
 本作では、秘密捜査官としてのクウェールの過去が明らかになった後に、インタープランからの刺客が差し向けられているのだから、それは本当の記憶だったということになっている。とはいえ、記憶改ざんが可能であるのなら、彼ら刺客を含めたインタープラン全体が改ざんされた記憶に基づいているということも考えられる(そこまでの示唆がこの話にあるわけではないが)。いずれにせよ記憶と世界との合致というのは記憶の真性を担保する大きな(もしかしたら唯一の?)要素ではあるが、逆に言うと世界と合致してさえいれば記憶は真であると見なされ、事実としてそれで問題は生じない。リカル株式会社が、改ざんした記憶を裏付けるための品物を客の家に配置するというのは、当たり前と言えば当たり前だが、なかなか手が込んでいる。

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