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64 人見知りと犬見知り

 どのような人であれ、人と会うのにあたって多少なりとも緊張を禁じえない。これまで何度となく会っている人でさえ、会うのにあたって緊張を禁じえない。これはもはや、意志の問題を超えているように思われる。身体にもともとそなわった警戒心とか防衛本能とかいったものが、不可抗力的に働いていると言うよりほかない。

 だから、仮にもわたしが人慣れした人間になるとしたら、それはそなわった生得の本能を切り捨てることを意味するだろう。あるいは、人類皆を家族同然の大きな群れ(つまり仲間)と見なすことを意味するだろう。

 そこでふと思い出されたのが知り合いの、人なつっこい犬のことだった。誰にでも笑顔で尻尾を振る彼女が普段なにを考えているのか、ぜひとも伺う必要がある。というわけで彼女のもとを訪れた。彼女は家のなかにいる時、外から来る人間に対して吠える。しかし散歩中は誰にでも尻尾を振ってなつく。これは矛盾しているのではないか。と問うと、

「それは縄張り意識です」

 と返される、

「入ってくる人には吠えるけど、すでに入っているお客人にはしっぽを振るというのは、つまりそういうわけです」

 すでに入っている人というのは、縄張りを侵した人なのでは?

 と聞くと、

「いいえ。入って来られた人というのは群れの仲間が認めた人ですので、つまりお客人です」

 と返す。

 では、散歩中に出会う人は? 

 とさらに聞くと、

「それは縄張りの外ですので、ノーカウントです」

 しかしそうなると、別にしっぽを振ってなつかなくてもいいのでは、現に行き会った人を無視して黙々と散歩にいそしむ犬だっているだろうに。

「そのへんは犬それぞれの性格ではないでしょうか。しっぽを振りながら寄っていけば大抵の場合は撫でたりしてもらえますし、嫌がられたり危ない目に遭ったりもしないので、むしろわたしからしても彼らは友好的な存在と思っていますが」

 ということは、君は野生を忘れてしまったのかな、それとも周りの人みなを一つの大きな群れと思っているのかな。

「群れ、という意味で言うとわたしにはわたしの群れがありますし、それは明確です。その二択ですと『野生を忘れた』という答えに該当しそうですが、そもそも野生とは何でしょう。わたしは犬ですので、人と違って難しいことを考えず、本能のおもむくままに生きていますけれど、人と仲良くするというのもその一部なわけです。そう言ってしまうと、わたしは本能的に人なつっこい犬だということになるでしょう。それが野生にもとると言うのでしたら、まあそういうことにもなるでしょう。なんにしても、群れの外の人間は、同じ群れではないけれど、友好的な存在です」

 なるほど。

 と、何やら言い負かされたような気分で彼女の家を辞した。

 その論で言うと自分は、ただ本能的に人なつっこくない人ということになりそうだ。と、あれこれ考えごとをしながら帰路を行き、ふと思い至って立ち止まる。思えば彼女も、散歩中にほかの犬と遭遇したときには吠えるよな。人には吠えないが犬には吠えるというのは、彼女は人なつっこい犬ではあるが、犬なつっこい犬とは言えないのではないか。そしてそれは、自分が犬なつっこい人ではあるが、人なつっこい人ではないのと同じようなことなのではないか。

 ――振り返って二三歩歩きかけたところで、思い直す。わざわざ戻って聞き返すほど急を要することでもないし、明日にでもまた聞いてみよう。と、ふたたび振り返ろうとしたその時、向こうのほうから彼女が綱を引いて走ってくる。夕日を浴びてきらめく毛をなびかせながら、舌をひらひらさせながら、さもうれしそうにしっぽを振りながら、こちらに走ってくる。

「ずいぶん歩くのが遅いんですね」

 と、彼女は言った。

 まあね。

 と、わたしは彼女を撫でた。

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