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控えめに言っても変

Salvatore Ganacciさんが新曲を出したようだ
ミスターセンクスにとってGanacciさんは
控えめに言っても変な人である
今回のMVも知らないおばあちゃんの家に入り込み
本物の孫に火炎瓶を投げつけ
踊り狂うというちょっと理解できないものとなっている

GanacciさんのMVは
どこか超現実要素を含んでいる
靴型の車に乗ってみたり
下半身が車になってみたり
彼の想像の世界が具現化されただけなのだろう
やっぱり変だと思う

画像1

靴車のようす

画像2

下半身バイクのようす

Salvatore Ganacciはボスニア出身
音楽家であり
プロデューサーであり
実業家である
スウェーデンのラジオ局の創始者であることは
Wikipediaに載っているのだが
その他どのような実業をしているのかは知らない

音楽というアートとビジネスの両立
サルバドール・ダリもそういった一面があったが
そういう生き方ってかっこE!と思うわけだ

そういえば私の身近にもサルバドールが付く人間がいるが
彼はサルバドール甲殻類である

個人的に言えば
ビジネスとアートを両立することは難しく思える
広告業界にいるからそう思うのかわからないが
広告ビジネスは商業デザインでありアートではない

そこにおけるデザインはあくまで
目的を達成するためのツールであり
依頼主からの依頼をベースに発生している

アートにおいて依頼主は存在しない
ONOREの情熱や世界観をアウトプットし
それによって人々を熱狂させる

一見相容れなそうな2つを上手に融合させる偉人がいる
彼らにはミスターセンクスのそれと同じように
ビジネスとアートのHAZAMAでの葛藤があるかもしれない
そもそもそんなことを気にしてないのかもしれないが

何が重要なのかといえば
その人自身の生き方なのかもしれない
生き方こそがビジネスであり
生き方こそがアートである
そういう人は決まって変人であると
ミスターセンクスは思っている

彼らがどんな人なのか見てみよう

挙動がおかしく
話し方が変で
マイクを奪ったり
時に変な動物を連れてくる

彼らは変なのだろうか
それとも変を演じているのだろうか

自分からしたら真っ当だが
周りから見たら変だ
変というものは
こうでなくてはいけない気がする

顕在的ではなく潜在的な物
滲み出ていなければいけない

どこで滲み出るかといえば
それは生き方である

突き抜けた生き方が認められた時
人々は彼らを変人ではなく
天才と呼ぶようになる

何を書いているか
もはや自分自身でもわからないが
ミスターセンクスは
真っ当を完全否定し
ファック真っ当!
真っ当をファックするなら
美女にファックされたい!
そういうスタンスを忘れない

生きて生きて逝きまくれ!!!


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