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アクシデンタルジーニアス

芸術の秋
芸術とは美女であり
私が生きて行く術のようなものである

先日本屋さんを覗いていたら、海外の美術書が並んでいた。
その中で見つけた1冊の本
「Accidental Genius」
つまりは偶然の天才
グッとくるタイトルである

天才に偶然などあるのだろうか。
凡人が突然変質してしまい、天才になってしまったイメージだ。
変質であり偏執である私にとってはとても嬉しい事なのだ。

その美術書に載っている美術は、「アウトサイダーアート」であった。
美術というものがアウトサイダーである側面を持っているわけであり、
さらにアウトサイダーなアートなのであるから、
それはそれは外れたアートなのである。

本質的な意味としては、
西洋の芸術の伝統的な訓練を受けていない人が制作した作品であるが、
アートとして扱われているものを指す。
つまりトーシローが制作した作品が、天才アートになってしまうということだ。
なかなかのアクシデンシャルを帯びたものである。

日本においてアウトサイダーアートは、障害者のアートとしてイメージされる。
事実、アウトサイダーアーティストの約半数は障害を抱えた方なのだそうだ。
しかしあと半分は、健常トーシローなのである。
ONOREのセンスだけで勝負し、人々にアートだと認めさせたすごい人だ。

健常者と障害者をここで分けるのは野暮な話なのである。
私自身、健常者なのか障害者なのかわからないからである。
大事な事は、センスがツルピカに光っているという事なのだ。

センスとは何か、それは切り取り方だ。
並外れたアーティストたちは抜群のセンスと抜群の技法を持っている。
つまり才能を持っており才能の表現方法を学んでいるからである。
そいつは強い。

技法を持たないアウトサイダーたちは、センスで勝負する。
もしくはそのセンスにより、
誰もやったことがない技法を生み出してしまうかもしれない。
セックスセンスではなくシックスセンスつまり第六感が働いているとさえ
思えてこなくもないくもなくないのだ。

アウトサイダーアートが一流アートと肩を並べるのであれば、
それはつまり天才なのである。

アウトサイダーアートをアートにする人は誰なのだろうか。
本来は芸術家独自が持っているテクニックを形式化したものが技法だとすれば、
その技法に沿っているかどうかという評価軸は、
アートであるかそうでないかの境界線として活躍するだろう。

技法が存在しないアウトサイダーアートにおいて
アートとアート以外の明確な境界線は無いのではないかと思う。

ぬおおおおおお!萌えてたぞ!
アートへの扉が一気にひらけた気がする!
芸術のお作法を学んだお利口さんに、センスだけで挑むのだ!
ジャジャジャイキリリリリリ!

リターンオブエクイティ!
リターンオブエクイティ!
エグイ自己資本!
そりゃエグイティー!

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