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「短歌のガチャポン」を読む

 前回の短歌の会の時に、会場が図書館の2Fなので、短歌の本を数冊借りてきた。万葉集がらみの本が3冊、俵万智さんの本1冊、穂村弘さんの本1冊。やっぱり一番好きな穂村弘さんの本を、一番先に読み終わる。

 穂村さんのエッセイ「もしもし、運命の人ですか?」が、初めて買った本。「彗星交差点」が最近買った本。そして「短歌のガチャポン」が先日借りた本である。

 穂村さんの、世界とのずれ方、みたいなのが面白い。
「もしもし、運命の人ですか?」というタイトルだが、これは、出会った人に、最も、いきなり言わないセリフだと思う。
 そのずれ方が、心もとなくて面白いと言ったらいいのか、思わず笑ってしまうエピソードに満ちているのであった。

 そんな穂村さんが、出会った短歌を選び、右ページに1つの短歌、左ページに解説がある。
 穂村さんの短歌も、読むと、はっとする作品があるのだが、穂村さんが選んだ作品だから、さらに面白いと思う作品がいろいろ載っているのが痛快だった。
 沢山、いろんな短歌を読んで、自分の栄養にしたいという作戦だ。
 いろんな作品を肥やしにして、あるとき、それが落ち葉のように堆積して、土に浸みわたり、自分の中の短歌が芽吹いてくるようなことを楽しみにしている。

 自分の心に入ってきた短歌をいくつか紹介します。

「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて

山川藍(1980~)「いらっしゃい」

 作者の飼っている猫が死にそうなのか、深刻な場面と、無職の兄がぽつりという言葉。苛立つ妹。

 無職の兄がおいしいところでおいしい台詞を云っている、さも優しい心の持ち主であるかのように。自分は限界ぎりぎりまで働いて優しい心なんて全部削られてしまいそうなのに、と穂村さん。

結婚はタイミングだよと言われた日 1人の部屋でおなら出し切る

カン・ハンナ(1981~)「まだまだです」

 思わずぷっと笑える。そんなことを隠れてしたとしても、他人には言わないし、ましてや、歌には詠まない笑。

 「結婚」によって得られるものと失われるものがある。好きな時に「おなら」を「出し切る」ことの自由さは後者を象徴しているんじゃないか、表現の踏み込みに作者の気迫を感じる。と穂村さん。

くちづけをしてくるる者あらば待つ二宮冬鳥七十七歳

二宮冬鳥(1913~1996)「忘路集」

 映画を観ても、このラブシーンいらねぇ!と思っている私である。映画の筋に関係あるのかないのかのどうでもいいラブシーンは不要な年代となった。しかし、作者のこの歌はどうか。

 求めるのは純粋な「くちづけ」である。自分はここでただ待っている。当方は「二宮冬鳥七十七歳」、よろしく、となんとも面白い。果たして、この後、「くちづけをしてくる者」はあらわれただろうか、その可能性は低い気がする。でも、一首の不思議な気品は忘れがたい。と穂村さん。

歌いつつ踊る踊りがそれはもう限界超えたマイケル踊り

奥村晃作(1936~)「青草」

 今、note上で#推し短歌を募集しているから考えようと思っていたがすでにやられた!マイケル・ジャクソンは私の推しでもある。しかし、自分より30歳以上も年上の方がすでに詠んでいたとは!やられた!

 私の知っているマイケル・ジャクソンのダンスとは何かが違う。なんというか盆踊りとか踊り念仏とか……。とにかくここで一気に奥村晃作ワールドに突入する感がある。笑うなんて失礼だ。と穂村さん。

「水菜買いに来た」
三時間高速とばしてこのへやに
みずな
かいに。

今橋 愛(1976~)「O脚の膝」

 青春だなと思った。青春時代の恋人たち。

 もしこのうたが「わたしに 会いに。」だったらどうか。嬉しいには違いないだろう。でも、きちんとそう云われるよりも「水菜」の歌は遥かに凄い。その意味不明さに衝撃を感じる。「このへや」にあるはずもない幻の「水菜」を買いに来たことで、二人の思いはメーターを振り切ってしまった。「みずな」とは愛の別名だったのか。と穂村さん。

ほんとうはメロンが何かわからないけどパンなりにやったんだよね

砂崎柊(1994~)「短歌下さい」ダ・ヴィンチ2021年8月号

 本物のメロンとメロンパンは、あまり似ていない。メロンパンを名乗るにはいろいろと無理がある。でも、その事実を「パンなりにやった」と表現したところが素晴らしい。メロンパンに対する眼差しのやさしさに痺れる。結果がすべてという社会の論理はここにはない。かといって、努力に価値があるという言葉の嘘臭さとも違っている。見たこともないメロンに向かって、何かわからないなりに跳躍するパンの無謀さ、もしも、それを否定してしまったら、私たちだって、この世を生きるなんてとてもできないんじゃないか。

 短歌も面白いが、むしろ、この穂村さんの解説が面白過ぎ!

自販機のなかに汁粉のむらさきの缶あり僧侶が混じれるごとく

吉川宏志(1969~)「石蓮花」

 遠いはずの両者が言葉で結びつけられた途端、スパークして「ほんとだ!」という衝撃を生む必要がある。ポイントは「むらさき」だろう。それは高位の僧侶の袈裟の色を思わせる。加えて、自販機における「汁粉」の異質性。そもそもレアな上に特殊な役割を担っている。お茶や炭酸飲料などと違って、「汁粉」を求める者に対して、他の飲み物では代わりにならない。代替不可能な特性が「僧侶」と結びつく。

 僧侶と汁粉缶!なんか似てる!笑。

鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

与謝野晶子(1878~1942)「恋衣」

 ラストは大御所登場!
 さっすが~!御仏を美男と言ってしまう与謝野晶子に、降参!

 本来は信仰の対象である大仏を「美男」とみなすとは、リアルタイムの読者の受けた衝撃が思われる。(中略:この歌は批判された)批判の言葉の背後に感じられる意識の狭さに比べて、その歌心には善悪を越えた純度を感じる。大仏よりずっと後に地上に生まれて、ずっと早く消え去ってゆく、そんな運命の人間が歌い得るぎりぎりの命の賛歌。と穂村さん。

 短歌もいいが穂村さんが面白過ぎる💖!
 えりりん先生と穂村さんを短歌の師として、道を歩いて行こう。


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