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医者はなんのためにあるのか(ブラックジャック展より)人はなんのためにいるのだろう。

提出した目標シートを書き直すこと、2度目。定量的にと言われても、目標が会社全体へのコンプライアンスの「意識付け」にあるものだから、数値化出来ない。
「法令遵守の意識を育てるための認識教育を行い、定期的に試験する」と書いて了承をもらったが、
自主性を育成し、伸び伸びと活躍してもらうための土台としての法令遵守への意識付けは、試験結果で見えるものではない。
自分で書きながら、組織の中で評価をもらうための目標となってしまったことが、虚しくなった。
………………
働いていると、人ってなんのためにいるのだろうと思うことがある。もちろん、数値目標とその達成がリスクマネジメントの観点からは意義があるだろう。
しかし、次の世代に何を残すかと考えた時に、数字のために出来た試験は億劫な仕事という負の遺産になってしまうだろう。

本来の意味でのコンプライアンスは、人の存在を尊重するものでなければならない。
例えば、人を殺して自分を活かす人への配慮や、声の大きいものに従わざるを得ない風潮の改革。法令遵守意識の醸成。
それは被害にあった者のためではなく、加害者のためでもある。例えば贈収賄を許せばその加害者は組織に居られなくなるばかりか、社会から消されるし、
欲望のままに行動すればどこかの芸能事務所のように子孫にまで非難が及ぶからである。

少し話がそれてしまったが、つまり、人と人が共存していく場所として、
数字ではなく、人が欲望に任せて横柄にならず、仲間としての在り方を整えていくための意識付けこそが目標となり得べきだろう。それは取り繕った数字を追うことでは片付けられないはずである。
……………
きっと医者の世界も色々あったのだろう。助教授だった元カレが、「オペをしなければ点数が稼げず、経営にならない」ため、投薬回避をし、オペをしていた。結果、「寿命を延ばすために治療しているのか、経営のために寿命を縮める治療をしているのかわからない。」と言っていたことを思い出す。

才ある芸能人がメディアから姿を消し、お笑いか女優か分からない人が騒ぐ。スピーカーから漏れる愛想笑いは、芸に対する称賛ではない。愛想笑いできる自分への自己陶酔又はその場の雰囲気づくり。
決まった数の席に自らが座るための番組か、人が自己実現した結果として、視聴者に選ばれ番組が出来上がっているのか分からない。
……………
世の中が、数字を追った結果のようになってしまった。人がいて席が出来るのではなく、まるでイスを競う様な感じ。

本来は、人がいて組織が出来るはずなのに、組織のために人が踊っている。だから経営のために必要のないオペが存在してしまうのかもしれない。

人はなんのためにいるのだろう。
生きていくために組織に溶け込む目的でいるのか。
人が自己実現した結果、組織が出来上るのか。

人間は、
組織があっての人となり、
人がいてこその組織ではなくなってしまっている。



「その人の人生をかえたなら、
もしかしたら歴史だってかわるかもしれないだろう?」

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