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フラワー・オブ・ライフ④


夫と結婚してからも時々井戸の底に降りた。
その頃には、井戸には腰あたりまで水が溜まっていて、入るたびビシャビシャと体を濡らすのが煩わしかった。
それでも夫のいない時、井戸にざぶんと頭をつけると、子宮にいるような、なんとも言えず過去に自分が戻るような気分になるのだった。

ある日、夫とささいなことで喧嘩になった。
夫と話し合う中で、私のネガティブな考え方は、母の影響を受けているのだから仕方がないと言った時だ。
「もし友達に殴られて『俺、暴力的な家庭に生まれたから殴ってまうねん、仕方ないねん、ごめんな』って言われても、殴られんの嫌やから今度からあんまり会わんとこってなるだけやん。生まれ育った環境のせいにするのは反則やで」と夫は言った。
でも、DVの家庭の子どもは、暴力的になるって言うやん? 
「そうかもしれんけど、友達殴るかどうかは、自分の意志で決めれるやろ」

あ!

と思った。

出れる。
私は自分の足で、出られるのだ。
井戸の外へ、結界の外へ。

それは私を揺さぶる強い風だった。
着ていた服はバタバタと激しく扇ぎ、髪は錯乱したように暴れ、体は飛ばされる寸前だった。しばらくの間、体を傾けて風に耐えていたものの、急にバカバカしくなって力を緩めた瞬間、私は飛んだ。
くしゃくしゃのレジ袋みたいに上へ下へと弄ばれ、側溝に引っかかってはまた飛んだ。風を包んで膨らみながら宙を舞う私は、踊らされているようで愚かだった。
愚かで空っぽだった。
でも、それでよかった。
別にどこに辿り着いたっていい。空っぽで阿呆なまま風が運んでくれるところへ行こう。
流れに押し出されるように、私は大阪を離れた。



3児の母となったいま、母と時々手紙やラインでやり取りし、贈り物を送り合う。疲れきった私たちは、お互いに適切な距離を保ち、家庭にも心にも踏み込まないよう細心の注意を払いながら、おだやかな関係を楽しんでいる。

それでもふと、母のことを考える時、私は井戸の底に舞い戻る。
そこは私の井戸ではなく、母の井戸だ。
深い深い井戸の底で、母が般若の顔をして怒っている。
誰も助けてくれない中での子育てが、どれほど辛かったのか。
心無い言葉に、どれほど傷付ついたのか。
「この家で血がつながってないのは私だけやねん」とつぶやく母に、私は駆け寄る。
絶対に泣かないと決めて一滴の涙も見せなかった母を抱きしめて、井戸の底で一緒に声を上げて涙を流す姿を、想像せずにはいられないのだ。


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