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オランダおいね

題名のオランダというのは国名ではなし。大分県の郷土料理の名前。
オランダという料理を作りながら、オランダおいねと呼ばれた?と言われる女性のことを妄想した記録。

大分県と福岡県の一部で使われる方言に「おらぶ」があります。標準語だと「叫ぶ」
「おらんだ」は過去形で、意味は「叫んだ」
炒めている時に「おらぶ」ような大きな音がするというので、オランダと呼ばれるようになった料理。


材料

ゴーヤ 1本
茄子  2本
煮干し 6,7匹
味噌  大匙3
味醂  大匙2
片栗粉 大匙1

江戸時代後期、シーボルト事件という出来事。
長崎のオランダ商館付きの医師、フリッツ・フォン・シーボルトが国外持ち出しが禁じられていた日本地図を持ち出そうとしていたことが発覚し、国外追放になった事件。
シーボルト、日本で所帯を持っていました。丸山町の遊女、瀧を妻として女児をもうける。その女性が本稿の主人公、イネ。
イネが2歳の時にシーボルトは国外追放。
シーボルトの弟子、二宮敬作が養育を託される。


ゴーヤを割り、種とワタを取る。

ところが二宮は事件に連座したことから長崎を追放。
母、瀧の叔父の下でイネは育つことに。
知識欲旺盛な子で、女の子らしい芸事などよりも学問や読書を好む。
長崎で尊敬されていたシーボルトの子なので大事にされていたと言われるが、外国人の子ということで差別や偏見に晒されたという説も。
どっち?
父がオランダ人と自称していたことから、オランダおいねと呼ばれたように思われていますが、実は生前にそう呼ばれた確証はなし。
イネをモデルにしたテレビドラマ「オランダおいね」から、その呼び名が広まったようです。
自称と書いているように、実はシーボルトはドイツ人。当時の日本はオランダ人以外の白人の出入りを禁じていたので、オランダ人を自称したということ。

1センチ巾に切る。

成長したイネは父と同じ医学を志し、18歳の頃、二宮が住む四国の宇和島へ。
高名なシーボルトの娘ということで宇和島の殿様、伊達宗城に厚遇される。
二宮の勧めで岡山に居るシーボルトの弟子の一人、石井宗謙に医学を学ぶことに。ここで思わぬ悲劇。
宗謙に強姦されてしまう。結果、妊娠、出産。
生まれた女児に、天からタダで授けられた子という意味から「タダ」と命名。


茄子を乱切り。

そのような悲劇に見舞われながらも、医学への向学心は衰えず、ボンペやボードウインから産科を学び、当時、伊達家に仕えていた村田蔵六(大村益次郎)からオランダ語を学ぶ。
オランダ語で書かれた医学書を直に読みたいという理由の他に、いつか父と再会したら、オランダ語で話したいという願望もあった?
後に出身地である長州に戻った大村とイネは文通をしていたようで、仄かな恋情があったのではと言われる。


煮干しを油で炒める。

日米修好通商条約が締結され、日本は開国。シーボルトに対する処分も解けて、再来日した父と再会。
実に30年振りの再会。イネは若い頃の父の肖像画をずっと見て育っていました。現れた父はすっかりお爺さんなので、面食らったようです。また、当時のシーボルトは医師というよりも日本研究の泰斗として、博物学者風でもあり、思い描いていた再会とは異なったかもしれません。
加えて、このお父さん、女癖がよろしくなかったようで、イネとタダが暮らしている家の女中に手を付けちゃったとか。
石井といい、この父といい、こんな男ばかり見てきたせいか男性不信?イネは生涯、独身でした。
唯一、ほのかなロマンス?だったかもしれない大村益次郎ですが、明治二年(1869)暴漢に襲われて重傷。医師のポンぺと共にイネは治療に当たりましたが敗血症で死亡。最後を看取ることに。


水に晒していたゴーヤと茄子を投入。この時にオラブような音。

悲劇は更に続く。
娘ですが、タダという名前はあんまりだろうという伊達の殿様の忠告から、高子と改名。美しく成長。楠本高子が若い頃の写真が遺っていますが、現代の基準から見てもかなりな美人。
松本零士がこの写真をモデルにして、メーテルを作画。
イネは自分と同じように医学の道に進んでほしかったのですが、娘は三味線とか唱という芸事を好んだ。
その高子、母と同じメに遭ってしまいます。つまり性暴力の被害者に。加害者は医師ということまで同じ。妊娠、出産まで同じ轍。
違うのは生まれた子が男児ということ。
タダ、高子は母とは異なり、家庭を持ちました。勿論、犯人とは別人とですが。それでも暴行の末に生まれた子が後に高子の嫁ぎ先を継ぐことになるのは奇妙な巡り合わせ。


味醂と味噌を投入。

肝心のイネの医学ですが、日本初の女性蘭方医或いは産科医となりました。ということですが、明治八年(1875)に医師免許制度が導入されるまで、医者とは師匠に弟子入りして腕を磨き、開業する職業。極端に言えば自称で済む職業。
医師免許試験は当初、女性は対象外。明治十七年(1884)に門戸開放されましたが、その時にイネは57歳。年齢も高いという理由から受験を見送る。
町医者としての実績があるので、国家のお墨付きは必要なしとして受験しなかったという説もあり。

実績と言っていいのか、福沢諭吉の推薦で明治天皇の女官の出産に携わる。残念ながら死産。母子共に死亡。
福沢は大村益次郎と同じ適塾の出身なので、その縁から推薦されたのか?


いい感じになってきた

今回のオランダですが、こちらのnoteからヒントを頂きました。↓

仁の香さん、ありがとうございました。
自分流にアレンジしたオランダを今回、作成。


オランダおいね

本当は小麦粉を使うそうですが、グルテンフリーなどかた家には小麦粉は存在しないので片栗粉を使用。味噌がよく茄子やゴーヤに絡む。
皮付きなので茄子の抗酸化物質、ナスニンをしっかりと頂ける。うまい具合に砕けた煮干しがいい出汁を醸し出す。
煮干しからカルシウム、野菜から食物繊維と栄養も問題なし。

今は産婦人科で出産が普通ですが、それって本当に常識?昭和の頃には産婆という職業が存在し、自宅で出産も珍しくなかった。
妊娠や出産は病気ではないのに、病院に行くのに何となく違和感。
本来、自宅で行っていたことを病院で行うように誘導されてしまった?
スパイだったシーボルトはDS側ですから、娘がその流れに沿って産科医になったのも頷ける。
我々は病院や製薬会社が儲かる方向に知らぬ内に誘導されているのではないか?
もっと違和感を感じるのは、病院で生まれた新生児は保育器に入れられて、母親から引き離される。出産後の母子は本来、しっかりと一緒に居るべきではないか?

誤解して欲しくないのは、私は産婦人科は不要。すべて自宅で出産しろと言っているのではなし。出産は命がけであり、現状ではそこで行うのが最もリスクが低いならば、その選択肢が最良と思う人がいるのは反対しません。
常識と思われることを少し疑ってみようというのが、私のnoteの原点。
その一環として、産婦人科ということを考えてみたということ。
思わぬ所にまで妄想が広がりつつ、オランダおいねをご馳走様でした。

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