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『僕と金魚と星降る夜と』

大のクジラが二足歩行で歩いているのだから
ワニだって二足歩行で歩いていい。
こんな星降る夜なら特に。

口をあけて
星を食べると
金平糖のように甘い味がした。

「さあ、中へおはいんなさい」

霜の降りた道に
静かにバスが停まり、
魚たちが降りたり乗ったり
僕も乗らなきゃいけないはずなのに
体が動かない。

バスが去ってゆく。
赤いテールランプが峠の向こうにかすんで消える。
金縛りがとけて走り出す。
駆けても駆けても景色は同じ。
力尽き
ただ白い息を吐き続ける。

「風邪をひいてしまうよ」

長い影が大勢こっちに向かってくるのが見えた。
木だ。
樹たちだ。
たくさんの樹がずんずん歩いてきて
僕を囲んだ。
そこが森になったみたいに。

リス、狼、熊、キツネ、猿、フクロウ……
森の動物たちも集まっていた。
彼らがいっせいに森の奥を振り向く。
そこには一匹の巨大な金魚が
白衣を着てぷかぷかと浮いていた。

「いい加減にしないか」

樹々の間をすりぬけて
ゆっくりと森の奥へと進んでいく金魚。
どうやら案内しているらしい。
僕はそのあとを追った。

森の奥には大きな湖があった。
氷はまだ張っていない。
白衣の金魚が「ご一緒にいかがです?」と言って釣竿をくれた。
「何が釣れるんですか」
白衣の金魚は僕の質問にはこたえず、
ただニコニコしながら釣り糸を垂れた。

「気持ちはわかるが……」

「歯医者はお好きですか?」
唐突に金魚が言った。
僕が答えに困っていると、金魚は先を続けた。
「歯の痛みというのはちょっと独特ですからねえ」
金魚の釣竿の先がぐいっと引き込まれた。
「あのやっかいな痛みがとても大事なんです」
「引いてますよ」
「あれぐらいじゃないと自分の傷がどんなものかもわからず治療にも来ませんからねえ」
更にぐいっと竿の先が沈む。
「引いてますって」
金魚はマイペースを崩さない

「おまえ一人が苦しんでるわけじゃないんだ」

「空は誰に命令されて雨を降らせているんでしょうねえ」
「?」
金魚がいきなり話題を変えた。
竿の先がひょこっと元に戻る。
獲物に逃げられたようだ。
「火山は誰に命令されて噴火してるんでしょう」
金魚はまったく気にしてない様子で続ける。
「あれは命令とかじゃ……」
「ですよねえ。必要なものが必要なようにそうしてるんでしょうねえ。痛みと同じように」
竿の先がぐいっと沈んだ。
「空が泣いて海が出来て、火山が怒って大陸が生まれる。ひょっとすると、世の中には無駄なものなんてないのかもしれませんね」
竿の先が湖の中にまで引き込まれる。
「おやおや、これは大物みたいです」

「顔ぐらい見てやったらどうなんだ」

「……本当に、無駄なものってないんですか?」
竿が強い力で引っ張られてぶるぶると小刻みに震えている。
「そうですね。少なくとも私は、そう信じています。空にも火山にも善悪はありません。それから痛みにも。なのに無かったことにしたら可哀そうじゃないですか」
金魚がにっこりとほほ笑んだように見えた。
バシャン! と大きな何かが跳ねる音がして
喧騒が戻ってきた。

母の通夜だった。
目の前には寿司の大皿が並んでいる。
僕は寿司を頬張るだけ頬張って
初めて声をあげて泣いた。

悲しみは、捨てない。
怒りも
痛みも
捨てない。
捨てられない。
これ全部が、母さんの死だから。
ちゃんと全部握りしめて
空のように泣いて
火山のように爆発するんだ。

母さんのいた空気をかえせ!
母さんのいた体温をかえせ!
母さんの笑い声をかえせ!
母さんの手料理をかえせ!
母さんのいた日常をかえせ!
母さんがくれたもの全部かえせ!

今度こそ僕は
母さんを連れて遠ざかるバスに吠えた。

生きていくのに
必要じゃない痛みなんて
この世に存在しない。

母さん。
僕は明日、
金魚を飼おうと思います。

【了】

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。