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微笑ましいスプーンとの戦い

子育ての神秘的な課題に、最近、私は思いがけず立ち向かっています。心から愛おしい我が娘がついに1歳の節目を迎え、彼女の生活は日々新たな進展を遂げています。特に、その小さな手によって掴み取られるスプーンが、我が家の日常に新たな風を吹き込んでいるのです。一見するとただのスプーンなのに、それがこんなにも私の心を揺さぶるなんて、予想だにしませんでした。

心から願っていることは、娘がそのスプーンを自分で使いこなし、食事を自分で取り組む能力を身につけて欲しい、ということです。しかしその一方で、そこには我が心の試練が待ち受けています。食事の時間が一種の戦場と化し、彼女の小さな手から飛び出すスプーンが飛び散らせるご飯粒が、その行き先を見失って飛び回るのです。

確かに、彼女が自分で食事を摂れるようになれば、それは我々にとって非常に助かります。しかし同時に、その成長の過程において、私たちは時間と労力を費やさねばならず、無数の飛び散ったご飯粒を片づけるための困難さに直面することとなります。私たちのダイニングテーブル下は、娘の新たな食事の戦場となってしまったようです。

彼女が自分で食事を摂れるようになることはとても望ましいことです。しかし、その実現にはどれだけの時間と手間がかかるのか、その答えはまだ私には見えてきません。ただ一つ確かなことは、私の忍耐力がまだまだ足りていない、ということです。

ついつい私は、娘の代わりにスプーンを握り、そのご飯を彼女の口元へ運んでしまいます。それは一時的な安堵かもしれません。しかし、それが彼女の成長と自立への大切な一歩を奪ってしまうのではないかと思うと、不安になります。

"このままで良いのだろうか"、その疑問が常に私の心に浮かんできます。そしてその疑問に答えるために、私たちは日々、彼女の成長を見守り、自身も成長を続けるのです。

明日も、私はダイニングテーブルの下を覗き、未知の地に落ちたご飯粒を探し出すでしょう。そして彼女が新たなスキルを習得していく一方で、私もまた彼女の持つスプーン技術について学び続けることでしょう。

人生は皮肉なものですが、それはまた同時に美しいものです。このスプーンとの小さな戦いを通じて、我々の生活はより深みを増していくのです。そして何より、彼女の成長を見ることができる喜びこそが、私たちがスプーンを握る理由を教えてくれるのです。

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