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30年前の記憶(前編)

こんにちは、あずみんです。
今日は表題の30年前の記憶(前編)について。
「明日でいいや」は後悔のもとになるかもしれない。
このお話はあずみんの実話に基づいて、
実際のその地で写真を撮り、ストーリー風にしています。


第二の故郷でもある和歌山、母の実家ではありますが。
小学生時代、春、夏、冬休みに毎年祖母の家に行ってました。
お盆だけとか正月だけとかではなく、どっぷりと。
年間日数に直すとざっと40日~50日くらいは過ごしてました。
夏休みはくろしお号で祖母の家に行くので当然暇であり(笑)、当たり前のように近所の友達ができました。

今の時代ならスマホもあるし一人でも思う存分遊んでたんだろなぁ…と思う反面、スマホはおろかゲームすら置いてなかったので、自然と外へぶらぶらと出かけたりで、今思えばそういう媒体がない時代って貴重だなぁとホントに思います。

コンビニまで車で30分~1時間走らないと行けない、お風呂は一度家を出て別の建物まで行かないと入れない、当然トイレはぼっとん便所、そんな田舎街でしたが、海や川、山にも恵まれた地域で、夏休みは山に登ったり木にのぼったり、川で泳ぐために自転車で1時間山道を駆け巡ったり、山で野に咲く果物?を食べたり、海は海水浴場ではなく磯の海でウツボを毎年見かけるような海ですが素潜りをしたりモリで魚を突いたり、今思えば非常にワイルドな生活だったなと。

皆さんも経験があると思いますが、小学生から中学生になる頃に、親と一緒にいるのが恥ずかしかったり、親と一緒に旅行に行かなくなったり、今まで自分が生きてきた環境を、自分自身で変えようとしたりする年頃だなと。
もっとかっこよくなりたかったり、あるいは可愛くなりたかったり。
それが思春期の始まりというものでしょうか。
偏見かもしれませんが、そういう考え方は都会に住むほど強いような気がします。
そう思ったのは夏休みのことでした。

中学生になって初めての夏休み、いつも夏休みに入ればすぐに祖母の家に行っていたのに、行かなくなりました。「田舎に帰るなんてダサい」なんて勝手な思考で。

その年祖母の家に帰ったのはお盆の時。
祖母に友達たちが来たか尋ねると、何回も来ていたようで。
彼らにはそういう考え方の変化がなかったかのように。

そしてなぜか友達と会うのが照れくさく感じて、会うことに億劫になってしまっている自分がいました。

家にいても仕方ないから、結局散歩をしに家をでます。
よく遊んだ山、海、川を見ながらぶらぶら。
小さな町だと自分たちのような子供は行くところもなく、ばったり会うことは珍しくもない。
散歩していると当然のように彼らと出会ってしまいました。
「お、おぅ…」
照れくさい。その時、自分はどんな顏をしていたか覚えていませんが、きっと目を合わせず顔が引きつっていた気がします。
でも彼らは違いました。
「やっと来た!!久しぶりやなぁ!!」
ちょっとウルッと来た自分がいました。
なんや、全然変わってないやん。って。

そして今までと同じように笑顔で話すことができました。
その時、なんかかっこつけたかった自分に、
「何してんやろ俺」
って、そう思った記憶があります。

いつも一緒に遊んだ仲良しの数人のグループ。
実は自分以外全員がその地に住む子供たちではなく、
自分と同じように何人かは親の田舎で帰省している子供たち。
大阪の人、和歌山市内の方から来ている人。
確か大阪市内の方だったはず。もっと北の方かも。今では覚えてない。

そしてそのグループにいる1人の女の子。
大阪市の方から来ていたはずで、彼女は自分と同じ思春期の影響をもろに受けた一人のようで、小学生の頃は先陣を切って飛び出すほど活気のある子だったのに、その時は後ろの方で控えめにしていた記憶があります。

「ひ、久しぶりやな…」
そんな感じで言われたはず。
「う、うん、久しぶりやな…」
今までと変わらない雰囲気の中に別空間が存在するかのような二人だけ照れくさい世界。

多分、いや、絶対、いや、確信はないけど99%恋していたはず。
お互いに。

【続きは次回】


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