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【旅エッセイ55】坊っちゃんとこき下ろされた松山市。

 親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている坊っちゃんが、大人になってもやっぱり無鉄砲でイヤな奴らに生卵をぶつけて帰郷する小説。

 夏目漱石の坊っちゃん。

 私は中学の教科書に載っていた「こころ」を読んで、一時期は夏目漱石にのめり込んだ。それまで児童文学や海外小説しか読んでいなかった私に「こころ」は衝撃的な作品だった。「こころ」は未熟な私の心に深い傷を残して、坊っちゃんは深い傷を忘れるくらい笑わせてくれた。こんなに軽快で愉快な文学があるんだ、と感動した。

 そんな坊っちゃんの舞台は愛媛県の松山市。
松山市を訪れたとき、私は初めて路面電車に乗った。あれは電車よりワクワクする。街の中、線路ではなく道路と同じ路面を走っているのを窓から眺めているとなんだか不思議で面白い。

 着いてから知ったのだけど、松山市はずいぶんと坊っちゃんを推している。

 名産の団子は「坊っちゃん団子」だし、路面電車には「坊っちゃん列車」と名前が付けられている。野球場の愛称は「坊っちゃんスタジアム」で、松山市の主催する「坊っちゃん文学賞」もある。

 道後温泉の駅前に建てられたオブジェは「坊っちゃんカラクリ時計」だし、よりによって「赤シャツ」という店名まである。いいのかな生卵ぶつけられる奴だけど……と余計なお世話をせずにいられない。

 とにかく坊っちゃん、坊っちゃん。

 坊っちゃんの作中で松山市は土地も人も風土もとにかく散々にこき下ろされている。私なら故郷があんなに悪く書かれていたら良い気持ちはしないけれど、松山市民は気にしないのだろうか。

 埼玉県民を散々バカにしてこき下ろして『埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ』等々ひどいセリフの数々を盛り込んだ「翔んで埼玉」は埼玉でも大人気らしいし、映画化した際に埼玉県民からのクレームに備えて特設の苦情窓口を設置したけどクレームはなかったらしい。心が広すぎる。

 写真は、そんな道後温泉の駅前で撮った一枚。右端に写っているのが「坊っちゃんカラクリ時計」で、0分になると鳩時計のように坊っちゃんのキャラクターが飛び出してくる。坊っちゃんは小説なのにキャラクターが飛び出してくる。もうわけがわからない。けど、好きだ。

 写真の真ん中に映る白い傘を差した和装のお姉さんは、たしか観光協会の人だった。マドンナをイメージした格好なんです、と教えてくたのを覚えている。

 とにかく坊っちゃん、坊っちゃん。作中での松山市の扱いなんて気にした様子もない。

 バカにされたと怒るより、きっとそんな風にユーモアで返すのが利口なんだろうな。カラクリ時計に乗せられて踊る坊っちゃんを眺めながら思う。

 坊っちゃんのユーモアに、松山市もまたユーモアを返しているんだ、きっと。


また新しい山に登ります。