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【旅エッセイ62】ハリー・ポッターとの出会い

 娘が二歳になって、少しずつ言葉が通じるようになってきた。最近は寝る前に「ぐりとぐら」の読み聞かせをしている。娘も「ぐりとぐら」は気に入って、布団に入る前には自分で本棚から引っ張って来て読み聞かせをねだる。まだ幼児言葉の娘は「ぐりとぐら」がはっきりと発声できずに「ぐぐらら」と呼んでいるけれど。

 私は子供の頃から本が好きだったので、娘も本が好きになってくれたら嬉しいな、なんて親のワガママで勝手に思っている。

 人生を変えた出会い、私の場合は本だった。

 今から約二十年前、私は家族と川沿いにあるコテージで一泊二日の旅行をした。家族と親戚たちと、複数のグループでの家族旅行。ごろごろと大きな石の転がる川辺で、歳の近い親戚たちと一緒に川遊びをして、バーベキューをして、子供ならではの限界のない体力で日が沈むまで遊んだ。

 夜になりコテージの中に入ると、居間に本棚があることに気が付いた。

 宿泊客は自由に読書をできるようになっていたので、私は夕食ができるまでの間に一冊の本を手に取った。それが、まだ日本で発売されたばかりの「ハリー・ポッターと賢者の石」だった。

 最初の数ページを読み終えたあたりから、もうページをめくる手は止まらない。夕食を読み終えた後も物語の続きが気になって、500数ページを一晩で読み終えた。

 それから一年ごとにハリー・ポッターの新作を夢中で追った。
 一年に一作、一作ごとにハリーは年を重ねていく。ハリーと私は歳が近かったので、ハリーと一緒に私も成長しているような気がしていた。

 そのうち、刊行ペースが落ちてきたので最後には私がハリーよりも年上になってしまったけれど、それでもハリー・ポッターを好きだという気持ちは変わらなかった。

 ハリー・ポッターの世界では、完璧な人間は誰もいない。

 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は主人公で善人だけど、決して「完璧」としては書かれない。自分たちが正しいと信じれば校則を破り、友人たちに嘘をついて、大人を出し抜く。嫉妬したりケンカしたり、親友であるはずの三人でお互いを傷つけることもある。成長して思春期になると無闇に苛立って暴力で誰かを傷付けたり、迷い、間違いは続く。そんなハリーは大人になっても変わらず、心無い言葉で次男のアルバス・セブルス・ポッターを傷付けて親子の溝をつくってしまう。
 
 それでも正しいと思うことのために、ハリーたちは行動していた。

 ホグワーツのダンブルドア校長先生は何でもお見通しの「完全無欠の大人」として最初は書かれているけれど、ハリーが成長するにつれてダンブルドア校長先生も決して「完璧」ではないことがわかる。間違いもすれば苦悩もするし、怒ったり悲しんだりもする。そしてハリーが17歳、十分に大人になった最終巻の「死の秘宝」ではハリーがダンブルドアを支えるようになる。

 スネイプ先生はとてもイヤミで陰険で、イヤがらせのようにグリフィンドールの生徒たち(特にハリー)に冷たくあたる。けれど、一巻ではハリーが危険に陥れば迷わず助けてくれるし、二巻の秘密の部屋でもヘビを差し向けたマルフォイからハリーをかばって助けようとする。三巻では、学生時代に敵対していたルーピン先生を助けるために、薬を調合している場面もある。映画版では狼男が現れた時に、とっさにハリーとハーマイオニーを背後にかばって守ろうとするシーンもある。スネイプ先生は、ずっと片思いしていた幼馴染のリリーのために、憎きジェームズの子供であるハリーを何としても守ろうとする高潔さがある。けれど、生徒をえこひいきする嫌味なヤツには変わりない。

 善と悪が入り混じって、誰もが誰も完璧ではない。ハリー・ポッターは子供に向けて書かれた本ではあるけれど、子供だましのキレイゴトが書かれていない。誰もが悩み、苦しみ、そして前へ進む。それが、子供だった私の目にも魅力的に映った。

 作者のJKローリングの境遇もすごい。彼女はシングルマザーで生活保護を受けながら、喫茶店で一杯のコーヒーを飲みながら、幼い子供が眠る傍らで小説を書いていた。

 子供向けにしては枚数が多すぎるという理由で大手の出版社からはどこも出版を断られ、ようやく小さな出版社から、わずかに500部だけ出版されることが決まった。

 小さな喫茶店、ひとりの母親、たった500部から始まったハリー・ポッターは、世界中を魔法にかける。二十年かけて、世界での発行部数は五億部を突破した。

 私はハリー・ポッターに出会わなければ小説家を目指そうなんて思わなかっただろうし、小説家を目指さなければ挫折して傷付くこともなかったし、挫折して傷付かなければ日本中を旅することもなかったし、結婚して家庭を持つのも良いかな、なんて思うこともなかった。

 ハリー・ポッターから始まって、色々な出来事が重なり、私はこうして娘に本の読み聞かせをしている。

 何と出会って、どこへ進むのか。人生はどうなるかわからない。

 娘の人生にはどんな運命の出会いが待っているのだろう。私に訪れたような幸運が彼女にもあると良いのだけど。

 写真は、ホグワーツエクスプレス。
 まだ娘が生まれる前にユニーバサルスタジオジャパンで撮った一枚。画質が悪くあまり良い写真ではないけれど、パークの中に再現された魔法の世界は私を童心に返してくれた。

 運命の出会いから二十年が過ぎた今も、ハリー・ポッターの魔法は私を魅了し続けている。


また新しい山に登ります。