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死を希むこと

※今回の記事は自死を扱います。
望まない方は読まないでください。


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皆さんご存知だろうか。
わたしのマガジンには「闘病」を扱うものがあること。
主に書きたかったのは、もう長らく闘っているうつ病のことだ。
ずっと書きたいと思いながら書けなかった。
両親への負い目か、はたまた自分でも精神疾患を見下げているからか。
でも書くことは治療にもいいらしい。
そろそろ書いてみようと思う。


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わたしが心療内科を予約したのは、世はクリスマスのにぎわいの中、誰もいない浜辺に立ち入水しようとした自分に、さすがにおかしいと思ったからだ。

変調はずっとあった。
無断欠勤をしたのが始めだったか。
眠れなかった。
体が鉛のようになった。
パニックを頻繁に起こした。
何かにつけて泣き続けた。

そして気づいたときには浜辺に立っていた。

もっと書く気になれば枚挙にいとまがない。
だから今回は希死念慮のことを書く。


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通院を初めてすぐは、逆に希死念慮なんて感じもしなかった。
安心したのかもしれないし、薬の効果かもしれない。
単純にそれどころではなかったというのもあるかもしれない。

診断を受けてから1年、2年…と経つうちに、焦りが出てきた。

治らない。
働けない。
恋人もできない。
親の脛をかじり続ける20代だった。
30歳の自分に宛てて、と25歳のときに買った5年日記は、もうずっと白紙のままだ。

同級生は皆恋人もいるし、結婚したし、出産した。
ちゃんとした会社でそれなりのポストにもつき始めた。
わたしは何をしていたのだろう。
人と比べては生きている意味がわからなくなった。


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他にもたくさん、もう生きることをやめようと思ったことはある。

職場で持病による欠勤について怒鳴られたとき。
もう仕事を辞めてくれと言われたとき。
両親から実家に戻って家賃を好きなことにあてて暮らしなさいと言われたとき。
結婚相談所に精神疾患患者は登録できないと知ったとき。
かえでが亡くなったとき。

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でもいちばん辛かったのは、母に自死だけはやめてくれ、と言われたときだ。

「外聞が悪いから、自死だけはするな。」

わたしが欲しかった言葉は、母の口から出なかった。


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安楽死を考える時、わたしは自死もそのうちのひとつなんじゃないかと思うことがある。
全ての生き物に与えれた唯一の権利、それが死だという。
でも、精神科医は皆、自死だけはだめなんだ、という。

わたしには未だに答えが出せない。
ただ、間違っていた時に取り返しがつかないから生きている。

もっと気楽に死を待ちたい。


おしまい。

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