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3.11 地震と原発の見えないパニック(前編)

もうすぐ3月11日です。
2011年(平成23)3月11日、東日本大震災のとき皆さんは何をしていたでしょうか。

私は、住まいは関東ですがそのときたまたま別の地方にいて直接の被害を受けませんでした。
しかしニュースなどで被害の大きさや広がりを確認し、ただごとではないと感じていました。

原子力発電の事故トラブルを研究してきた研究者の視点で、検証を要すると思われる問題点についての問題提起を試みるものである。


地震の翌日には福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発、14日には2号機も爆発し、ニュースなどでご覧になった人は多いと思いますが、そのときはまだ事の本当の重大さがあまり伝わっていなかったように記憶しています。

おそらく津波の被害が非常に大きくその心理的な衝撃が大きすぎたため、それどころではないという感覚があり、放射能という自然災害とは種類の異なる危険に対して具体的なイメージができなかったのではと思います。


報道は過多、情報は不足


私はその爆発の際、自宅で原発のニュースを見ていましたが、本当にちゃんとした情報がテレビやネットのマスメディアから発信されていなかったことを思い出します。

やれ菅首相が直接ヘリで出向いたとか、水をかけて温度が下がったとか、誰に責任があるとかないとか、あまりにもどうでもいい話ばかりで必要な情報がなく、一番肝心な放射能漏れの危険に関する情報は皆無といえる状況でした。あったとしても断片的でよく分からないものだけ。

今でも覚えているのが、2chの理系学生が集まる板か何かで、地震後のかなり早い段階から、「福島第一原発1号機の圧力が高まりベントと呼ばれる圧力を下げる作業が行われるが、失敗したら爆発する」というような書き込みがあったことです。

何か情報はないかと探していて偶然たどり着いたと記憶しています。

格納容器の外へ気体を放出する「ベント」という操作に失敗し、格納容器から直接放射性物質を含む気体が漏洩したと推定しています。

「ベント」という作業については一部のニュースで報道があったように記憶していますが、具体的にいつ何をやっているかはわからず、その日の深夜に作業があると書かれたその書き込みに注目していたら、翌日くらいに本当に爆発事故が発生し戦慄しました。

あれは、かなり詳しく情報を知ることができる人が、身バレの危険を顧みず事実を知らせるために書いたのではないかと思います。
もちろん匿名なので実際はどうなのか確かめようがありませんが。


自分で取りに行かなければ得られないもの


そのように、津波の被害報道が地震当日から翌日に繰り返されている中、かなり早い段階でごく一部の人が、2chで原発のメルトダウンの可能性を指摘していました。

その後も掲示板や個人メディアで、東京の近くまで風に乗って放射性物質が降っているのではないか?とか、線量の単位や危険度の報道内容は間違っていて実際はもっと多いはず、とか、非常に有益な情報を匿名の誰かが提供し続けていたように記憶しています。


私はそれらの情報のうち信じられるものをピックアップして出来るだけ先に行動するようにしていました。

私がよく覚えているのが、「関東に放射性物質が流れてきたら水が汚染される危険がある」という情報を得て、水道水以外の水の確保に早めに走ったこと。

その時我が家は小さい子供がいたので、万が一があってはいけないと必死でした。

関東に放射性物質が多く飛来した直後は報道もなくその危険が伝わっていませんでしたが、それから1週間くらいたった頃にテレビで報道されると水の売り切れが相次ぎパニック的な状況になりました。

その時、情報の見分け方ひとつで自分の状況が大きく変わることが本当にあり、情報リテラシーを鍛える必要性を身にしみて感じました。

その後、Twitter、個人ブログや独立系メディアなどで、報道されていない事実を伝える活動が広がっていき、一般メディアでも確かな情報が得られるようになったのは1か月以上後くらいからだったと記憶しています。

第3節 震災の経験を活かして
2.透明性をもった迅速で正確な情報提供のための我が国の取組


私はそのとき、大手のテレビ局や新聞などの報道が緊急時にはいかに遅くて足りないかということを知り、重要な情報は自分で掴みにいかなければ手に入らないのだと知りました。

そしてさらにそのことを強く認識させられる事実があったことを、だいぶ後になって知ったのです。


後編はこちらです↓


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