記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

木綿豆腐と牛乳の味―映画『オアシス』

 最近、木綿豆腐が好きだ。子どもの頃からの食わず嫌いで絹ごし豆腐しか食べなかったのだけれど、数日前にうっかり絹ごしと間違えて木綿の豆腐を買ってしまった。
 捨てるのももったいないので、仕方なく味噌汁に入れて食べてみたら、それが思いのほか美味しかった。それまではもそもそしていて味気ないとしか思っていなかったのに、感動して思わず三日連続で食べた。

 そう言えば韓国映画にも、よく木綿豆腐が出てくる。韓国では刑務所から出所した時に豆腐を食べる慣習があるそうで、なんでも「豆腐のように真っ白な心に戻る」と言う意味があるんだとか。
 今日見た映画にもそんな場面があった。

 普通は迎えにきた家族や仲間が豆腐を持って待っているものなのだけれど、その男は誰も迎えに来てくれず、自分で豆腐を買って店先で齧りついていた。すると、察した店主が勘定をおまけしてくれた上に、牛乳までおごってくれたのだ。

 イ・チャンドン監督の初期作『オアシス』(2002年)の中で唯一、世間の暖かさを感じられるのがその場面だ。
 今ちょうど、Amazon Primeの会員特典で視聴できるようになっている。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07VVSN7LJ

<予告編>

 『オアシス』はずっと前にレンタルDVDで見て、強い衝撃を受けた作品だった。
 その頃はまだ、障害者や弱者について当事者として考えたことがなかったのだけれど、それでも、この社会が誰から何を搾取しているかについて、心に刻み込まれることになった。

 ソル・ギョング演じるジョンドゥは、暴行と強姦未遂、そして過失致死で前科三犯の、社会的には「クズ」だ。だから刑期が明けて釈放されても家族は誰一人迎えに来ないし、歓迎もされない。
 彼には自閉傾向か知的障害が、あるいはその両方があるようで、空気は読めないし、悪意はないが人の気持ちがわからない。どのくらいズレているかと言うと、出所してすぐ、自分がひき逃げして死なせた被害者の家族に挨拶に行くと言って、へらへらしながらフルーツバスケットを持って乗り込んでしまうのだ。当然、家族からは追い返されるが、ジョンドゥにはその理由もよくわかっていない。

 そんなジョンドゥも、来年30になる。前科者の上に何もできない弟を少しはまともにしようと、兄のジョンイルは弟に言って聞かせた。

ジョンイル:お前も大人になれ。どんな意味かわかるか?大人というのは好き勝手に生きてはダメなんだ。行動に責任を持ち、相手が自分をどう見てるのか考えて、社会に適応できるのが大人だ。

 そして中華料理屋でアルバイトさせられるのだが、出前容器の回収という簡単な仕事さえうまく行かず、ジョンドゥは誰にも相手にされない日々を送る。だけれど、彼にはそんなことよりも気になることがあった。

 それは、出所後に挨拶に行った遺族の家にいた、重度脳性麻痺の女性・コンジュのこと。彼女に一目ぼれをしたジョンドゥは、ある日花束を持って彼女の部屋を訪ねた。結局彼女には会えずに隣人に追い返されてしまうのだが、ジョンドゥは鍵の隠し場所をこっそり盗み見て、またその日のうちにコンジュの家に忍び込んだ。
 そうして「おれと付き合って」とコンジュに告白したジョンドゥだったが、二人きりでいるうちに興奮してきて、あわやコンジュを犯そうとしてしまう。おそらく今までの強姦未遂も、こんなふうに衝動的なものだったんだろう。

 動転したコンジュは犯される前に気絶してしまい。ジョンドゥは慌てて彼女をバスルームに引きずっていき、顔にシャワーをぶっかけ、何とか息を吹き返させた。そんな顛末だったからすっかり失恋したものと思っていたが、後日、コンジュはジョンドゥが置いて行った電話番号に電話をかけてきた。

 彼女は普段、団地に1人で住んでいる。兄夫婦は彼女の名義で身障者向けの新しい公営マンションを借りているのだが、彼女はそちらには住ませてもらえていないのだ。重度の麻痺がある彼女は、毎日ラジオを聞き、鏡に反射した光を見てさまざまな空想をすることだけが楽しみだった。
 言葉もおぼつかず、体も思うように動かせない彼女が何も言えないと思って、月20万ウォン(約2万円)で世話を頼まれた隣人は、彼女の部屋をラブホテル代わりに使って、堂々とセックスをしている。
 だけれど彼女の内面は、李氏朝鮮時代の歴史にも詳しい聡明さを持ち、恋愛に憧れ、お洒落や化粧にも興味を持つ、普通の女性だった。

 再び会った二人は、今度はゆっくりと同じ時間を過ごすようになる。
 お互いを「姫」と「将軍」と呼び合い、コンジュが働いている人に憧れると言うと、ジョンドゥは真面目に働こうと努力し始める。時には二人でデートに行き、一緒にジャージャー麺を食べ、……それは幸せな時間だった。

コンジュ:何の色が好き?
ジョンドゥ:好きな色?えーっと……。
コンジュ:私は白が好きなの。
ジョンドゥ:俺も白が好きだ。きれいだから。

 ある日、ジョンドゥは母親の誕生日の食事会に、車椅子に乗せたコンジュを連れていく。しかしその場でコンジュがジョンドゥがひき逃げした被害者の家族だと知って、ジョンドゥ一家は凍り付いた。
「何のつもりだ!」と兄は激昂し、弟はそれをなだめようとする。
 そんな中で、ひき逃げをしたのは本当はジョンドゥではなかったことが明かされる。ジョンドゥは、会社員だった兄の罪を被って刑務所に入ったのだ。にも関わらず、家族の誰もがジョンドゥを邪魔者扱いしていたのだ。

 その晩、コンジュを家に送り届けたジョンドゥが彼女をベッドに寝かせて帰ろうとすると、コンジュは彼を引き留め、「一緒に寝よう」と告げた。そうして二人は体を重ねた。以前はコンジュを力づくで犯そうとしたジョンドゥは、今度こそコンジュを傷付けないよう一生懸命に「大丈夫?」と気遣い、コンジュはうれし涙を流した。

 そこに、コンジュを団地に置き去りにした兄夫婦が訪れる。ジョンドゥがいることも知らずに部屋に入ってきた兄夫婦は、裸で抱き合う二人を見て絶叫する。ジョンドゥがコンジュを襲って犯していると思い込んだのだ。

 警察に捕まってしまうジョンドゥ。コンジュは半狂乱のまま、彼を庇うこともできない。警察も家族も、彼女の声を聞こうとはしない。
 そしてジョンドゥを聴取する警察は、「あんな障害者に発情するなんてお前は変態か」と言い放つ。
 この世界では二人以外の誰も、二人を人間扱いしていなかった。

刑事:あんな子を……。人間として理解できないね。お前はっきり言って性欲がわくか?

 さらには、コンジュの兄夫婦は、この件を示談にしようとジョンドゥの兄弟に持ちかける。コンジュの名義で良いマンションに住むだけでは飽き足らず、示談金もせしめようと言うのだ。それに対し、ジョンドゥの兄は示談金払いたくなさに「あんなやつ(ジョンドゥ)は隔離すべきです」と言ってのける。この映画の唯一の良心と言ってもいいジョンドゥの弟だけがかろうじて「妹さんに話を聞きましたか」と確かめようとするものの、それも結局無意味に終わった。

 そうして再び無実の罪で拘束されたジョンドゥだったが、最後に隙を見て警察署を脱走し、コンジュの住む団地に向かう。そして、何をするかと思えば、彼はコンジュの部屋の前にある木の枝を切り払った。
 以前、コンジュは部屋で話していた。部屋の壁に影をつくるあの枝が怖いと。そしてジョンドゥは「俺が魔法で消してあげる」と約束した。彼は約束を守ったのだ。

 結局ジョンドゥは警察に捕らえられ、また刑務所に入ることになった。けれど、今度はジョンドゥの帰りを待つ人がいる。彼女の部屋には、今は溢れんばかりの光が満ちている。

 オアシスという映画は、こんな話だ。

 筋書きだけだと、障害者をやたら美化して描く感動作を想像されてしまうかもしれないけれど、そうじゃない。ジョンドゥはどこから見ても不潔で、へらへらしていて不快だし、コンジュの障害は重く、見ていて痛々しい。(ムン・ソリはこの演技で関節が変形する後遺症を負ったらしい)

 だけれど、その二人こそ誰よりも純粋なのだ。
 鳩の羽のように、牛乳のように、豆腐のように「真っ白」なのだ。

 それに比べて、彼らを利用するだけして、お荷物扱いする「まともな人間たち」が、どれだけ残酷か。清掃員の老人をひき逃げして弟に罪を被せ、自分は善良な常識人の顔をしているジョンドゥの兄、その兄を庇って刑務所に入ったジョンドゥを厄介者のように扱う家族たち、公営マンションには自分たちだけで住んで、コンジュを連れて来るのは調査がある時だけの兄夫婦、障害者を「女」として見るのは異常だと言う警察。
 弱者の声を「なきもの」にする人間たち。

 障害者と前科者である二人と比べ、人間らしいのは、一体どちらだろうか。

 久しぶりに見ても、何度でも揺さぶられる作品だった。Amazon Primeで見られるって、何かの間違いじゃないかと思うほど嬉しい。できれば『シークレット・サンシャイン』と『ポエトリー アグネスの詩』も会員特典に入れてほしいんだけどな……。

 とりあえず、明日も木綿豆腐を食べよう。
 少しでも白い心でいられるように。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?