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過度な自己承認欲求と満たされない『愛され欲求』

SNSで簡単に誰かについて情報収集ができるようになった昨今、他者比較の気持ちが強すぎたり、自己承認欲求が過度で自分をコントロールできないでいませんか?
それはもしかして誰かに『愛されたい』『愛されたかった』欲求が満たされてないから今の不安が付き纏っているのではないかと考えたことはありませんか?例えば親、友達、好きな異性などから本当はもっと愛されたいのに愛されない不足感で満たされないでいると日常を充実させるのは難しいこともあるでしょう。

人は生きている以上、ある程度の承認欲求を持つものなので自分の中からその欲望をなくすことはできません。が、それが過剰になってしまう原因はそもそも幼い頃に親が躾に厳しく、なかなか愛情をもらえなかったなどがあるとは思います。確かに親に愛されたかったのかもしれませんが、今現在のあなたが欲しいのは親の愛情でしょうか?人によっては親の愛情が本当に欲しい方もいるでしょうし、今現在が幼い子供なら愛情が必要でしょう。ただ、長い時を経て成長して大人になったあなたが今更親からその不足している分だけ愛されてもポッカリと空いた空洞が解消するかというとなかなかそうもいかないと思います。

ではその承認欲求に現れている愛情の不足感というのはどうやって補ったら良いのか。
あなたが本当に愛されたいのは誰なのか、自分の心を突き詰めて考えたことはないでしょうか。特定、または不特定の人に自分のことを『認めさせたい』『わかってほしい』そんな気持ちが募る根っこにあるのは、あなた自身が自分を愛しているかどうか、そこを一度考えてみて欲しいのです。
あなたが自分を愛せないのだとしたらその原因を作ったのは成長過程においての親が原因だったかもしれません。ですが、あなたが本当に愛して欲しい人物はあなた自身です。
ですので、時間をかけて自分自身とじっくり付き合ってみたら良いのです。そして自己否定の気持ちは勘違いであり、実は自分自身は愛すべき人間であったことに気付ければ良いのです。そこにたどり着くためには、自分は『こうあるべき』『こうでなくてはならない』という型にはめて本当はまるっきりそうじゃない自分を否定することもやめなくてはなりません。
『こうあるべき』は手放しましょうとはよく言いますが、あなたは本当にそれを手放しているでしょうか。わたしは以前自分はそれを手放していると思ってずっと生きてきていました。ですが、実は全く手放して生きられていなかったことにある時気づきました。

あなたが思う本当のあなたとはどんな人でしょうか?友達がたくさんいて、おしゃれで、優しくて、仕事ができて、賢くて、誰にでも好かれたり尊敬されるような人物を思い描きますか?それはあなたが思い描いたただの『理想像』であり本当の面白みのあるあなたとは少し違う人物像じゃありませんか?
あなたは本当はひまわりなのにバラになろうとしていませんか?
ダイヤモンドの原石は磨いていかなければなりません。本来持っているものを磨いていくことで輝きを出していくのです。外側から石膏をくっつけて隠していくのではありません。自分が本来持ってない性質のものをくっつけて『見てくれ』だけ変えようとしてもそれは本来のあなたではないのです。

勉強ができない、いいじゃないですか。
スポーツが苦手だ、それもいいじゃないですか。
元々優しい性格じゃない、それでもいいんですよ。
そのままでいいんです。そのままであなたは完璧なんです。魅力的なんです。
そう言われても信じられませんか?でも、そう思えていないのはあなただけです。あなたが何かに囚われた心で自分を見ているだけなのです。その囚われを外したらいいのです。
勉強ができないからできない分だけ人一倍努力する、でもいいし、スポーツが苦手だからじゃあ逆に何かインドアのもので得意なことを探す、でもいいし、優しい性格は一見良さそうに見えるけど八方美人に思われたり他人に良いように使われる難点もあることを思えば、優しくないということは意思があり芯がしっかりしているように思われる、ある意味信頼がおける部分もある、だからそれでいいんです。

世の中の『こうあるべき』というものに合わせて自分をジャッジせずに、そのままの自分を捉えてそれに合った行動や立ち居振る舞いに変えていったらどうでしょうか。

個人的な話をしますが、わたし自身、30年に渡ってメンタル疾患に悩み、自分自身をとことん見つめ直した経験があります。『こうあるべき』にとらわれない自分自身を捉えてその自分を尊重していった先に一瞥体験というありがたい体験をしました。(一瞥体験がわからない方はググってください。わたしにとっては素晴らし体験でしたが、他人から見るとふーん、というくらいのものです)
『朝が起きられない』『障がい者手帳持ちのガチのメンヘラ』『繊細で神経質な性格』『友達付き合いが下手すぎて友達ができない』『社会不適合』など受け入れたくない自分がたくさんいました。それがコンプレックスで頑なに受け入れないでいたためにメンタル疾患が治らず苦しみました。けれどもそんな自分の欠点と戦い続けて疲れ切ってしまい、ある時、観念してそれを素直に自分だと受け入れるようになりました。そうしたら途端に、色んなことが目まぐるしく変わり始めて心が安定しだし、あっという間にメンタル疾患が治ってしまいました。
不思議なことに、受け入れたくなかった一見ネガティブな自分の欠点を受け入れたら逆に自分を心から愛せるようになりました。今では長く悩まされた自分の繊細すぎる性格も、人付き合いができない性質も愛すべき自分の大切な一部だと思えるようになりました。そうなると、誰でもいわゆる『欠点』と呼ばれるものを持っており、完璧な人などいないし、自分の親にもそれがあったのだと許せるようにもなってきました。メンタル疾患に長く悩んだ人生は神様が与えてくれた大きなギフトだったのだとさえ思うようになりました。自分自身を愛することができるようになると、良い意味で他人からどう思われようともあまり気にならなくなり、根拠のない自信を持って我が道を堂々と歩けるようになりました。
人から良く思われたくて、自己犠牲を払うことも全くなくなりました。

あなたはどうでしょうか。自分で自分を愛することもできない愛情に飢えた人から『愛して欲しい』と言われて愛せるでしょうか。どちらかというと、自分自身を客観的に見ることができて、さらに自身を愛して大切に扱い、地に足をつけて『自分』を体現して自由に生きている人の方がはるかに魅力的だと感じませんか?

世間の常識に当てはめて良いとか悪いというジャッジを一切せず、自分自身をありのままの姿で捉えるように意識を変えてみる、そしてそれを受容してみる。もちろん、誰かと比較をしないこと。それだけであなたは変われるのです。
ちょっと見方を変えてみると、あなたのその『愛に飢えた心』は神様がくれた自分が飛躍できる大きなチャンスなんです。

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