見出し画像

ASOBIJOSの珍道中⑬:夏、賑わい盛りのモントリオールで路上芸人をば。

 ”ぬわぁっ。”
 ”ぬわぁっ!”
 ”うるさっ。”
 ”寝言で起こされたんこっちやで。”
 ”うわぁ、夢の中でも踊っとったわぁ。”
 ”休みないねえ、Swallows。”
 ”よっしゃあ、今日も行くかぁ、路上〜ぅぅう〜!”と、あくびを一つ。短い腕と背中をめい一杯伸ばして、MARCOさんのお目覚めです。
 レストランでの仕事が夜中まであるため、私たちの起床はだいたい昼前の10時ごろ。カンカン照りの太陽に汗びっしょりになりながら目を覚ますのでした。

 日本で使っていたASOBIJOS(アソビジョーズ)という夫婦の芸名は、こちらでは発音しにくいという理由で『Swallows(スワローズ)』に改め、インスタグラム(Instagram)も、英語での発信用に新しいアカウントを作り、モントリオールの観光地や繁華街で路上演奏を繰り返してきました。
 6月にもなるとモントリオールの日は長く、朝の6時前から明るくなりだすと、なんと夜の8時過ぎまでずっと明るいのです。毎週のように、フレンチポップ音楽フェスティバルや、ジャズフェスティバル、アフリカンカルチャーフェスティバルもあれば、サーカスフェスティバルに、東洋文化祭り、日本の屋台祭りと、とにかく無料の野外コンサートやイベントが目白押しで、毎日、夜遅くまで街のどこかから大音響のライブ音楽の熱狂が聞こえ、陽気な酔っ払いや家族連れで溢れかえっているのでした。

 おっと、朝食の支度は私の仕事です。コーヒー豆を挽いて、鍋で牛乳を温め、カフェオレを淹れ、サラダに、オムレツに、パンを焼きます。既製品のドレッシングが嫌いなので、レモンとオリーブオイルとメープルシロップと塩をひとつまみを混ぜて、サラダに和えます。炊事は一日三食、私が担当し、MARCOさんは洗濯物を担当してくれていました。週に2度ほど、大きな買い物袋パンパンに入った洗濯物を背負って、長い階段を上り下り、風雨の中も家とコインランドリーの間を何度も歩いて往復してくれていました。こうした貧乏暮らしの苦労こそが、お互いの存在のありがたみを分かち合わせるというもの。

 さて、私たちも、この素晴らしく陽気な夏のモントリオールを存分に楽しみました。至るところで人が宙に舞ったり、耳にしたこともないような民族楽器の音色に包まれて、単に夢のような光景を味わうことも素晴らしいことでしたが、路上芸人として、街を歩く観光客や住民たちに、ささやかながらも楽しみを提供する側に回るというのは、また一味違った楽しみがあるものでした。
 ジャン・タロン市場だけでなく、東洋情緒あふれる景観に、本格麺料理と餃子を求めて人がごった返すチャイナタウンや、オフィスビルとデパートのひしめくダウンタウン、洒落たビストロやバー、色彩豊かな花屋が多く集まるプラトー・モンロイヤル地区など、手当たり次第、時間帯や演目も替えながら演奏活動を繰り返しました。
 
 ”昨日、MARCOさん、やたら熱心に話しかけられとったけど、なんやったん?”
 ”神は一つ。アッラーだけなんだって、気づいたらイスラム教の勧誘されてたわ。最初は踊りを褒めたりしてくれてたんだけど、私、どこ行ってもこういうの多いんだよね。”
 と、小さな口でモシャモシャと音を立てながらサラダを頬張ります。跳ね上がった寝癖髪に、ほぼ下着一丁。Tシャツを一枚着ていれば、かなり品の良い方、というのが私たちの朝食のドレスコードでございます。

 路上芸人として何が面白いかと言えば、お客さんが目の前にいるということです。しかも、こちらは誰一人にも頼まれちゃいないというのに、勝手に音を鳴らし、舞を披露するわけです。
 はじめは、大目立ちする着物姿で公衆の面前に出ていって、藪から棒に芸をおっぱじめるなど、震えるような緊張をおぼえたもので、立ち留まって観てもらえることにも、拍手をもらえることにも、投げ銭をいただくことにも、いちいち感動をしていた私たちでしたが、次第次第に、自分達に興味を持つ人間はどういう人たちなのか、あるいは何を面白がって楽しんでいくのか、ということを冷静に分析をするようになりました。
 
 ”結局ある程度年齢が上の白人層なのよね”。と、モシャモシャ。

 つまり30代か、それ以上の年齢の白人でした。20代で立ち止まってくれる人たちも少なからずいましたが、忙しいから中々長い間足を止めてくれないか、じっくり観たり写真を撮ったりしてもお金を入れてくれないというのが、若者らしい行動として散見されました。
 人種で括るのもあまり好ましい分析ではないということを認めますが、多くの黒人系はビートやグルーヴがないと、まず目もくれません。アジア系も、特に日本人かなぁ、と思う人にもたまに出会って、観ていってはくれるんですが、あまりチップの文化が根付いていないためか、自分から値段を決めてパッと払っていくということをあまり気前良くしない傾向にある、という印象を受けました。
 5ドル札や、20ドル札を入れていってくれるお客さんの方を振り返って見てみれば、いつも決まって、年配の白人の方でした。チャイナタウンでは、ベンチに腰掛け、3、4曲ほど、じっくりと尺八を聴かれていった年配の方もおられましたが、明らかに好意的なことを、朗らかな笑顔と中国語で私に語りかけていってくれたんですが、小銭一つ落とさず、颯爽と歩いていってしまう始末でした。

 フランス文化の影響が色濃いプラトー・モンロイヤル地区では、やはり日本の伝統や、日本文化に対する興味を強く持つ人が多いのか、何をするにも総じて反応が良く、地唄の『黒髪』や、尺八古典本曲の『本調』といった、今どきの日本人でも興味関心が離れつつあるような、江戸時代、ないし、それ以前から伝わる演目ほど人だかりができて、じっと静かに観ていき、終いには”コンサートはいつやるの?”などと声をかけたりしてくれるのでした。
 "More, Japan! More Japan!"とカタコトのフランス語訛りの英語で手を叩いて声援を送ってくれる中年白人男性の姿もありましたが、古ければ古いものほど、つまり、言い方は悪くなりますが、ケベコワ(フランス語で生活するケベック州の人々)にとっては、簡単に理解できないものであればあるほど重宝されるというのが率直な印象でした。
 
 ”MARCOさんの似顔絵のイラストを描いてくれた人もいたね”と、コーヒーをひと啜り。
 
 日本のアニメが大好きだという人も驚くほど多く、”アノ、〇〇というアニメを知っていますか?”と日本語で尋ねられても、”いやぁ、私らアニメのこと全然知らなくてさぁ”、と尻込みしてしまうというようなことも数えきれないほどありました。

 ”今日も暑くなりそうやねぇ”と、汗を拭いながらコーヒーをもう一つ。

 そうです。もう一つ、ようく思い知ったのは、時、というものの重要さでした。私たちのような、静と動が織り成す日本舞踊や、アコースティックな尺八という楽器の音色は、明らかに昼下がりから、せいぜい日没までが人の注目を集めるのに向く時間帯でした。
 そして、春先はずっとそうした傾向を読んで、民謡を土台とした尺八の曲や、古典本曲、地唄、『さくらさくら』などを中心に演奏していたのですが、6月に入った途端、パタリと人が振り向いてくれなくなりました。
 同じ場所、同じ時間帯に、同じ演目をやっても全くダメなのです。街を歩く人の数は明らかに増えたのですが、街全体が賑わしくなり、道ゆく人の歩くスピードも早くなっていました。つまり、季節が変わったのでした。ただそれだけのこと、といっても、街を歩く人々の求める癒しや喜びや楽しみの種類は大きく変わるということをまざまざと体感させられたのでした。

 ”さて、今日も行くわよ。”
 と、シャワーを浴びた身体に着物を巻きつけ、腰紐を締めるMARCOさん。
 この日はいつもとは違う演目を携えて、街一番の観光名所、オールドタウン(旧市街)へと繰り出していく私たちなのでした。

 

さて、ようやく本号で、2023年に体験したモントリオールの夏へと突入いたしました。
執筆時点は、2024年の1月末で、カナダを離れる一週間ほど前になります。一年のカナダ生活振り返っても、この路上演奏の日々は、かけがえのない思い出となりました。切磋琢磨し、またいつか一緒に戻って来たいものです、モントリオール。次号では路上を思いっきり書きたいと思います。
↓↓↓に、私たちが以前立ち上げたインスタグラムのアカウントを貼っておきます。よかったら覗いていってくだされ。
                      一空


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?