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自由になった

その方はお酒にはあまり興味がなさそうだった。

特に、これが飲みたいと言う物は無いようで、
幾つか酒種を提案してみた。

結局ウィスキーに辿り着いた。
無難なスコッチのブレンデッドをロックでお出しした。

グラスを傾け一口飲んだ。
そしてゆっくりグラスを置いた。

違和感のない動作に僕はちょっと安心しました。
もしかしたら、ヤケ酒かなと思えたからだ。
それは
何となく落ち着かない様子を感じていたから。

一瞬の沈黙。
うつ向いていた顔を上げ、僕を見るなり
話し始めた。

「街は凄い変わりましたね?」

  「そうですね」 
  「ここ10年で大きく変わりましたね」

「戻ってきたんですよ武蔵小山に」
「離婚して実家に戻ったんですっ」

饒舌に話し始めて今まで溜め込んでいたものを
一気に吐き出すような勢いが彼女の話振りから感じられた。

ワンオペで家事と育児に専念していた毎日。
その慌ただしい毎日が、
離婚して実家に戻り
急に自由になった。
いつものオペレーションが無いのだ。
時間が出来た。
けれど
何をしていいか分からない。

そんなことを
こちらが聞いたわけでもないのに淡々と話してくれた。

子供はパートナー側が引き取ったのだろうと推測できる。
結婚生活中はパートナーや子供以外とは接点がなく
他人と自由に話すことに飢えていたのかなとも見受けられる。

「家庭」という鳥かごから解放され360度の景色があるのに
どこへ羽ばたいていいか分からない。

そんな思いが伝わってくる。

習い事などを始めたらどうかと進めてみた。

既にヨガ教室に通っているという返事だった。

敢えて電車に乗って近隣の町まで行っているらしい。
けれど毎日通うわけにはいかない。
ヨガだけでは空いた時間を埋めるのは難しい。
他に何かないかな?
という相談だった。

自由になったとはいえ、何もしないでは暮らせない。
いきなり社会復帰で就活などは大変かもしれない。

「アルバイトから始めて、働くことに慣らしていくのはどうかな」

新しい空気を求めているようなので、アルバイトも
違う町が良いのではと付け加えた。

「そうねぇ」
「違う町に行くことは新鮮かもしれないねぇ」

少し納得したような表情にも見えたが、
こんな誰でも思いつくようなことを
と、がっかりしたようにも見えた。

氷が解けた残りのウィスキーを一気に流し込んで、
落ち着きを取り戻したようだった。
満足したのかは分からない。
でも
スッキリしたような顔に見えた様な気がする。

数か月が経ったがその後再会することは今のところない。
居心地の良い自分の場所を見つけられただろうか?
一期一会の接点もバーという仕事の面白いところかもしれない。

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