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能登半島・千枚田から水利共同体を考える

若い頃、能登半島を仲間の車で周ったことがある
越前海岸から東尋坊、見附島、千里浜を抜けて千枚田を写真に撮った
黒い瓦屋根に、漆喰壁に板を貼った民家に、防風の竹垣と
寂しく厳しい風景は、松本清張の小説の舞台を想起させた
その千枚田がこの度の地震で大きな被害を受け、地元の人は再生に努力しているという

ひび割れた田んぼに水を送る水路の修復が急がれるが
一人では出来ない


水利共同体は、共同体全員で連携して維持しなければならない


元気な田んぼに復活するにはまだ時間が掛かるでしょうが
田植えの時期に間に合いますように

天皇陛下は、各地の水の分配の研究から
地球レベルの水の循環へと研究を進めておられますが
私は上流から下流まで水を公平に分け合う
稲作の水利共同体が
日本人の精神をどう創って来たかに興味があります😅
岸田秀氏の「唯幻論」を読むと
日本人は主体性が無いと批判されるが
「主体」という言葉は外国には無く、翻訳語ではないという
ということは
西洋では「主体」は言葉にしなくても当然のことだが
水利共同体の日本人にとっては
言葉を創らなければならない新しい概念だったということか😦

司馬遼太郎は「仏とは相互依存の総和だ」と言いましたが
水利共同体の「おたがいさま、おかげさま」の心は生き残るのか
と、厳しい自然の中で水を分け合い
協働して千枚田を拓いてきた人々を思ってしまいました😅

以前来店された駐日ハンガリー大使は
本国から来客があると、長野県に連れて行き棚田を見せて
「これが日本人の精神を表しているんだ」と説明されるそうです😍


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