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初出 読売新聞「風韻・潮声」2006年1月

「お客さん、前髪軽くヤバいですよ、すぐに手入れをしないと手遅れになりますよ」
という私の髪は、もうすっかり手遅れで説得力はないのだが…😅
男の髪は主に協調性の表現であり、自己表現の部分はわずか
バリエーションも限られている
その上かなりの人が薄くなり、ある日気づいてしまうのだ
もう近藤正臣のようにカッコよく前髪をかき上げることは出来ないのだと😮
髪が薄くなった人の一部は、あるべき姿を求めてカツラを着ける
しかし、ほとんどの人は、あるがままを受け入れながら
薄い部分が目立たないように、短く刈り込むことで済ますのである
さて日本は、母性原理社会で父性が弱いと言われている
私の好きな父性の定義は、「自由の限界を示すもの」であるが
精神分析学者、小此木啓吾氏は
父性を執行原則(宗教、規範など)と
現実原則(自然の厳しさや貧しさ)に分けている
日本の父性は主に現実原則が担い
その中の貧しさが自由の限界を決めていたという
しかし、貧しさが克服されてからは、誰もが自由に自由を使えるようになり
ここから先はダメと誰も言えなくなってしまった(細木さん以外は)
だが残された僅かな現実原則の中にハゲがあるのである
それは人生の無常や、人には思い通りに行かないことがあるとか
イヤでも引き受けなければならない運命がある、とかを
無言の中に教えているのである
ハゲを笑うことは軽くヤバイ
それは父性無き自由の国に残された微かな希望の光なのだから😂

追記、最近私は日本の父性は
水利共同体での役割と責任で解けるのではと思うようになりました😅

明日に続きます😅


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