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【どうする家康】ディスられるのも人気の秘訣?叩かれるほどファンが結束、「一揆」状態に。第8回「三河一揆でどうする!」深掘り

NHK大河ドラマ『どうする家康』第8回の深掘り感想です。
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)

「バチをくれぇ~!」というか「ディスをくれぇ~!」ディスられるほどに盛り上がる『どう康』クラスタ

初めての方は初めまして。僕、一応プロの物書きながら、最近は趣味で『どうする家康』(以下、『どう康』)の感想記事を週3でnoteに更新しております(※詳しくはnoteの自己紹介ページをご覧ください)。基本的には大河大好き、そして『どう康』に関しても第1回から涙ボロボロこぼして毎回感動して見ている大ファンです。

過去には「この無名のライター、NHKからの仕事ほしさに評判悪いドラマの感想書いて必死にアピッてやがるぞダセェww」みたいな心無いコメントもSNSには上がってましたけれどもね。おまえだよ、おまえ!💢SNSではフォロワーさんの目もあるからスルーしてやってたけど、ちゃんとチェックしてるからな!💢💢お陰様で、お仕事もらえるどころか、ドラマガイドやノベライズとかも買っちゃってどんどんお金が出ていくばっかですけどね😂

(「お前の方が養分やないか」とか言われても仕方ないな……こちとら、好きでやっとりますけどw)

まぁ、そういう自己紹介はどうでもいいんだ。相変わらずこのドラマ、ディスるようなアンチのコメントがSNSでは流れてます。以前は「相手するだけ時間の無駄だからスルーしようぜ」なんて書いてましたし、見ないようにしてたんですけど……。

ただ最近は、わざわざハッシュタグ「#どうする家康」と「#どうする家康反省会」を混ぜて使うようにしている人が出てきており……。さらには、昨年の大河「#鎌倉殿の13人」を付けて今年の大河を批判する人だとかね。『鎌倉殿』のコミュニティにも「『鎌倉殿』は良かったけど『どう康』はすべてにおいて劣っている」なんて言う輩が湧いてきました。

アンチはアンチの人同士仲良くしてくれたらいいのに、わざわざファンの我々にも見えるような形でディスを飛ばすのはどういうのはどういう了見でしょう……どうしてもバトらないと気が済まないような方がいらっしゃるようです。君ら、そんなに「カマってちゃん」なの?「寂しんぼ」か⁉

そして、昨年の『鎌倉殿』をマンセーしたいがために『どう康』を落とすってどういうこと???それだけ『鎌倉殿』ロスから抜けれてない人たちなのかもしれないですけど……。

もちろんいまだ「『鎌倉殿』ロスだー!」って言うこと自体は、良いことだと思いますよ。三谷幸喜さんも喜ぶでしょう。だけど、そのために今やってる作品をけなすのは違う。

というか、失礼じゃない?両方のドラマに関わってるスタッフさんや出演者さんもいらっしゃるわけです。去年のスタッフさんだって喜ばないよ。何より小栗さんだってファンミで「『どうする家康』に迷惑をかけないように」っておっしゃってましたし。

ただね、逆にそういうディスのコメントが流れるたび、ファンの方も強いですよね。「『どう康』のここが好き!」とか「ここが面白い!」とか積極的にコメントされてる方も多いです。

例えば第7回の「わしの家」でも「両親との根性の別れに涙していた瀬名が、いきなりラブラブおしどり夫婦するのは違和感」みたいなコメントがあったようですけど、「それは父・氏純の『笑顔を忘れるでないぞ』を守ってのこと」だと、見抜いている人は見抜いていました。

むしろ「ここが違和感!」「デキが悪い!」みたいなディスが湧けば湧くほど、考察勢が「わ~っ!」と反論して盛り上がる。「その見方は間違ってる!」「このシーンを見落としてるだけじゃない⁉」なんて。作品が愛されてる証拠ですよねぇ。第8回でも、榊原小平太が「バチをくれぇ~!」なんて言うシーンありましたけど、むしろ「ディスをくれぇ~!」状態。

ディスの声すら巻き込んで、より一層ファンの結束が高まってるような印象です。これもなんだか「一向一揆」みたいだな……って、ドラマの中での「一揆」は、殿を苦しめる側なんですけどw

史実の脚本への落とし込みは『鎌倉殿』の方が優れていた?『どう康』だってスゲーぞ!

ならば、あえて昨年の大河『鎌倉殿』と比較するような考察も書いてみましょうか。そもそも僕も昨年の大河は大好きで見てましたし、noteにもたくさんレビュー書いていましたが。結論から言うと、「どちらが劣っている」ということはないです。そもそも時代も違うし、登場人物の設定も見せ方もぜんぜん違う。

例えば脚本。「『鎌倉殿』の方が、うまく史実をアレンジできていた。『どう康』は史実を完全に無視している」なんて意見はまっこうから否定したい。もちろん基本的にはフィクションですし、ドラマ的な脚色も多いですけど、どちらの作品にそれが顕著か?なんてことは言えないと思います。

具体的に挙げれば、『鎌倉殿』で、頼朝の死の理由には2つの説がありました。落馬して死んだという説と、「飲水病(糖尿病)」という説。ドラマでは、前者である落馬説が採用されたかと思いきや、後のストーリーでは後鳥羽上皇から「頼朝はよく水を飲んでいた」ということが語られ、どうやら落馬したのは病からくる眩暈のせいだった、という2つの説をハイブリッドで見せる脚本だったことがわかりました。

そして今回の『どう康』第8回。「一向一揆」が起きた原因にも、2つの説がありました。①「上宮寺に押し入って無理やり年貢を取り立てたから起きた」説と、②「本證寺に押し入って犯罪者を捕らえたから起きた」説です。

それらの説をドラマではどう描いていたかというと、まず家康が独断で、本證寺・上宮寺・勝鬘寺といった一向宗のすべての寺から年貢を取り立てていました。これが①に該当するわけですが、その後、取り立てた年貢が本證寺の門徒たちに奪い返されてしまい、取り戻そうと家康が使者を送ったところで2名が門徒に斬られ、うち1名は死んだことが長吉より伝えられました。それに対して家康が慌てて言ったのが、「下手人(殺人を犯した者)を引き渡せと伝えよ。かくまえば軍勢を率いて寺に討ち入るとな!」というセリフ。ここで②の説も採用されていたということが判明したのでした。

ただ、そのように「2つ語られる説を両方とも脚本に落とし込む」という手法はどちらもうまく使われているのにかかわらず、『どう康』の方がよほど「史実無視」だと言われてしまうのは、やはり大河では何度も描かれてきた「戦国時代」だからでしょうか。

2020年の『麒麟がくる』、2017年の『おんな城主 直虎』、2016年の『真田丸』、2014年の『軍師官兵衛』……と「戦国時代」に関しては枚挙にいとまがないほど多くの作品が描かれ、どの作品でもそれぞれの「徳川家康」が描かれてきました。

一方、『鎌倉殿』と同じ、鎌倉幕府の成り立ちの時代を描いた作品なんて、それこそ1979年の『草燃える』まで遡らねばなりません。僕も生まれてすらない時代だな……2005年の『義経』とか、2012年の『平清盛』とか、ビミョーに重なっているものはいくつかあるんですけど。

すでに固定観念として「家康っていうキャラはこう」というものができてしまっていると、なかなか新しい家康像を受け入れるのは難しい、というのはあると思います。

ただ、ですよ?ちゃんとそれぞれの作品をじっくり観てきた人には、それぞれの史実の解釈の仕方や脚色があるということにだって気づけていると思うのです。まさか、ぜんぶの「家康」がまったく同じ描き方だったって思ってる?風間俊介さんや阿部サダヲさん、内野聖陽さんに寺尾聰さんと、バラエティ豊かにいろいろな方が演じられてきましたよ?

にも関わらず、『どう康』だけが「史実完全無視」として非難を浴びてしまうのは……長年大河を楽しんできた僕から言わせてみれば、「ひょっとして君達、それほど大河ファンじゃないんじゃないの?ニワカの皆さんは、もうちょっとドラマに慣れたり歴史のお勉強し直したりしてから意見を言えるようにしましょうねぇ」なんてマウンティングだって取りたくなるものです。

こんな僕自身も、「歴史のお勉強」は、学校で教わる程度でしかやってこなかったんですけどねぇ……(大学受験は世界史専攻だし)。少なくとも観てきた大河ドラマの本数は、そのへんのニワカさんよりも多い自信はありますからね。

『鎌倉殿』は、源氏一族と坂東武者を描く。『どう康』は、家康を中心に、その時代に生きたあらゆる人々を描く

また、作品のスケール的なものに関して言えば、『鎌倉殿』と『どう康』はよく似ています。『鎌倉殿』は鎌倉幕府の起こりの物語。『どう康』は江戸幕府の起こりの物語。どちらも「乱世を鎮めた」偉業が描かれていくわけで、それについても「作者は違うけど同じシリーズの作品だな」と感じてしまうところはあるんですけど。

ただ、それぞれの視点はまったく違います。『鎌倉殿』は源氏一族と、それを支える坂東武者を中心に物語を描いています。特に「殿」として源頼朝が出てきますが、主人公は頼朝の妻・政子の弟である北条義時です。義時も後に「執権」として殿を直接補佐する役にはなるんですけど……『どう康』で言えば左衛門尉(酒井忠次)や平八郎(本多忠勝)、小平太(榊原康政)あたりのポジションになるのではないでしょうか(石川数正はちょっと……ゲフンゲフンw)。視線を向ける方向は、敵を除けば殿と、周りの御家人(『どう康』で言えば家臣)、また家族ということになります。

『どう康』は、主人公が「殿」のポジションですから。『鎌倉殿』で言えば頼朝のようなもの。いや、性格的には二代将軍の頼家が近いか?そして視線を向ける方向は周りの家臣、家族、それだけじゃなく、所領で生きる民のすべても視界に入れておかねばなりません。

『どう康』では、市井の人々をこれでもかと言うほど細かく描いています。第3回でも、戦場に転がる武士たちの遺体から刀や槍など物を盗む子供たちが描かれました。そして今回の第8回では、そんな子供達を含む市井の人々こそが武装蜂起して、一揆を起こしました。ドラマ内でも蟻の行列が何度か象徴的に映し出されましたが、あの蟻たちこそが今回の物語での主役だったのかと唸らされました。

特に今回、メインキャストの他に「茜丸」という少年が出ていたのを気づかれた方、いらっしゃるでしょうか?

スタッフロールにも役名が無かった(俳優名のみ掲載)ので、僕もこのツイートを見なければ「茜丸」なんて名前を知ることはなかったでしょうけど……彼は、本證寺の寺内町で暮らす人々が歌っている際に出てきて、荷車に向かって「乗せて」と言う女の子を「いいよ」と乗せてあげていました。

(あの女の子も恐らく、第7回で空誓上人が「藪の中で捨てられていた」と紹介していた子だと思うんですけど……)

その後、松平勢が本證寺に攻め入った際には、茜丸は石を投げる役として一揆に参加。見事、大久保忠世の顔面にぶつけ、怪我を負わせることに成功しました。

けれど、終盤。家康自身が本證寺に攻め入った際には……銃撃を喰らって倒れた家康の目の前に転がっていたのが、死体となった茜丸でした。家康の家臣に斬られたのでしょうか?

スタッフロールに役名も載らないキャラを、ここまでドラマチックに描きますか?ほんの3つのシーンですけれど。それが彼の人生のすべてだとしても、胸が張り裂けそうになってしまうのは何故でしょう。

もちろん、『鎌倉殿』が市井の人々を描いていないとは言いません。むしろ第46回「将軍になった女」では、政子が「施餓鬼」という民への施しを行うシーンが描かれました。民に励まされたことで、三代将軍・実朝の亡き後に、政子がその代理人を担う決心をします。

『鎌倉殿』で、市井の人々は「象徴的な場面」で描かれています。けれど『どう康』では日常の光景として市井の人々が描かれている。その点に注目したいと思います。

繰り返し述べるように「どちらの描き方がより優れている」ということではないです。『鎌倉殿』は武士たち一人ひとりの人生に細かく寄り添って描いているわけですし。義時の場合は父親の存在も大きかったので、父子のバトルにもフォーカスされました。家康の場合、父は物語の始まりからすでにいません。そこで「何を描くか」という選択の違いだと思います。

そこをキャラクターにフォーカスすると、『鎌倉殿』の方がスッキリしていますし「わかりやすい」と思えるのは理解できますが。同じ視点で『どう康』を見たときに、これが非常に「とっ散らかって」見えるのも、わかるんですよ。

でも、そうじゃない。見方を変えて、「いち御家人の北条義時の視点」ではなく、「殿である松平家康という視点」に立ってドラマを観る。そうすると、家臣と呼ばれる一人ひとりのキャラクターばかりではない、そこで暮らす人々こそフォーカスする必要があることに気づけると思うのです。なぜなら「殿」こそ、人々によって「生かされている」立場なのですから。

「前回の話を忘れる」なんてもったいない!噛めば噛むほど面白くなるのが『どう康』

今回は再び、アンチの方へ反論するような方向性でレビューを進めてみましたが……楽しんでいただけましたでしょうか。また、これに対する反論とかもあっていいと思っています。「ここの視点が足りてないぞ」とか「ここの主張が無理矢理だぞ」でも結構ですし。そういう議論の繰り返しによって、また僕も、皆さんも、ドラマの鑑賞の幅が広がっていくと思いますし。

そもそも今回のようなレビューを書こうと思い立ったのは、以下のような記事を見たことだったんですね。

5,398文字も書かれており、だいぶ熱量も感じましたし、『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』みたいに「変わらないキャラ」を描くことこそ得意な脚本家が、成長ありきの大河ドラマの脚本なんか書くんじゃないという意見にも、「なるほど、そういう見方も」と興味深かった部分はありましたけど。

ただ、『どう康』を楽しむヒントに「今週の話を見たら来週までに内容を大体全部忘れておく」なんて暴論が出てきたのは許せませんでした。そう言い切れるほどには、この筆者さん、ドラマを深く鑑賞できていないと思いますし。

大体、第3回で殿が今川を見限る覚悟を決めたのも、「単に左衛門尉と数正が土下座したから」ではないです。「お手打ちにしてくだされ」と言って刀を差し出した、つまり「我々の願いを聞き届けていただけないのであれば、この場で我々を殺してくれ」と命を差し出したからなんですよね。

殿には、家臣らの命や三河の民の暮らしと、我が妻や子や駿府に残された人質ら、それぞれの命を天秤にかけることなんてできなかった。ただ、今は織田に付かねば、そのどちらの命も救えなくなってしまう。みんな滅んでしまう。そのことはハッキリと思い知ったから、「嫌じゃ、嫌じゃ……」と泣きながら刀を下げ、今川を離れる決断をするしかなかったんですよね。

しかしドラマを1回見ただけでは、そこまで考察できない人がほとんどだと思います。情報量も多いので、どこかの1シーンを見逃してしまっただけで、「あれ、今回の話と前回の話とで、つながってないじゃん?」と感じることだってあるでしょう。

だからこそ、何度も繰り返し見てほしい。だけど、いくら好きで見ている方でも「そんな繰り返し見る時間なんて無い」という方がほとんどでしょうから、ぜひ僕の記事だったり、SNSで飛び交うファンの方々の感想や考察、応援メッセージを頼りに、ドラマの理解を深めていただければと思うのです。

ともかく、今回の第8回、めちゃめちゃ重いのよ……逆に「進みが遅い」なんてディスりも、先ほど別の方のnote記事で読んだところだったんですけど。しかしこの「一向一揆を細かく描く」ということに、これから先のドラマの描き方が現れているような気がしてならないですね。

今週もう1回レビューする予定ですので、今回の記事を楽しんでいただけた方は、ぜひ更新をお待ちいただければと思います。

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