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旅の記憶【1993〜シルクロード】

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当時大学生だった1993年以降の旅の記憶を撮り溜めたフィルムを見ながら、記録しています。 すっかり忘れていた事も色々思い出せるのが不思議です。 当時撮影したフィルムをデジカメを使… もっと読む
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旅の記憶 1994・夏 最後の思い出

旅の記憶 1994・夏 最後の思い出

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

一通り校内を案内された僕らは
再び村を歩く
村の案内はこれで終わりで
帰路に着く

この辺りの記憶はあまりないが
村の外に向けて歩いているようだ
この子達は僕たちの後を
ついてきていたのかな

こうしてみると
村は塀に囲まれているように見える

そう言う慣習なのか
はたまた安全対策なのか

学校にはたくさんの少年がいたが
学校に行ってない子もいた

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旅の記憶 1994・夏 小さな村の学校にて

旅の記憶 1994・夏 小さな村の学校にて

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

パパ氏に連れられて
学校の中へ
生徒さんたちが
何ごとかとこちらを見てる

校内をどんどん進む
僕らはわけもわからず
ただついていく

今考えたら
図々しいにも程がある
連れていくパパ氏もだが
ついていく僕らもだ

そしてついには
教室にまで案内される

パパ氏が僕たちのことを紹介してくれているが
ウルドゥ語なので
何を言ってい他のかはわからない

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旅の記憶 1994・夏 小さな村の子供たち#2

旅の記憶 1994・夏 小さな村の子供たち#2

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

村の中を歩く
小さな子供たちのほかに
少し大きな子が混じってきた

街中では、女性を撮影するのはNGだったが
ここではパパ氏が撮っても大丈夫だと言ってくれた
今思うと失礼だったのかもしれない

今よりも戒律は厳しかったのだと思うが
村によって考え方が少し違かったのかも

そうして歩くうちに
僕たちは大きな建物までやってきた

大きな男の子がたくさ

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旅の記憶 1994・夏 小さな村の子供たち

旅の記憶 1994・夏 小さな村の子供たち

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

この頃から
かなり打ち解けてきたようで

子供たちとの距離が
一気に縮まったようだ

一緒に村を歩く
子供達も笑顔が増えてきた

英語はほとんど通じないから
写真を撮って笑い合うだけ
それでも結構楽しいもので

どんどん距離が詰まってくるような気がした

カメラを持って行ってよかった

続く

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #6

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #6

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

村の中を歩く
カメラを向けると逃げる子供達
当時は当然スマホなんかないし
この村ではきっと
カメラもそんなに
一般的ではなかったと思われ
写真を撮られることは
少し特別なことだったと思う

こんなやりとりを何度も繰り返しているうちに
子供達もだんだん慣れてきて
逃げる頻度も少なくなってくる

今と違って、撮った写真を液晶画面で見せられるわけでもな

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旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #5

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #5

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

村の中を歩く
どこにいくのかもわからぬまま
村を見学する僕らと

僕らを見学する村の人たち
大人も子供も僕たちをみる
こいつらいったなんなんだ?
という感じで

外国人が来たことがないという
この小さな村に
突如現れた日本人の学生旅行者3人

村を見て歩いているのか
村人に見られているのか

この時は両方が正なのだろう

そうしているうちに
警戒

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旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #4

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #4

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

パパ氏に連れられ村を散策
子ヤギを連れた青年が現れる
浮かれる僕ら

どんな流れだったのかは覚えてないが
子ヤギを抱っこするイサク
ヤギもまんざらではなさそうで
好奇心旺盛に顔を舐めているように見える

子ヤギ 小さいけど
そこまで小さくはない

続いてケンイチロウ
2人ともこの旅で見たことのない笑顔

僕たちはこの旅の間
ずっと緊張感に包まれて

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旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #3

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #3

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

目的を果たして大満足の僕ら
興奮冷めやらぬ感じで
しばしその場でパパ氏や村の人と雑談

てっきりあとは帰るだけと思っていたが
その後この場所で
チャイやケーキを振る舞われる

そんなことは全く予想もしていなかった

そうしている間にも
僕たちの様子を伺いに
村に子供たちが代わるがわるやってくる

この村に外国人が初めて来るのは初めてだ
という説明

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旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #2

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #2

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

僕たちがこの村にきた目的
それは・・・

日本国内では当時はもちろん
今でもこれをすることはできない

当時の旅行者の間では
ペシャワールでは正規の方法ではないが
どこかでこうした体験ができるということが
旅行者の間は結構話題になっていた

僕たちはマニアというわけではないが
やはり男の子
興味がないかといえば嘘になる

前日のガイドにきをよくし

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旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #1

旅の記憶 1994・夏 小さな村にて #1

30年前の夏
僕はペシャワールの
小さな村にいた

前日のカイバル峠の案内に気を良くした僕らは
翌日もパパ氏と交渉し
この村に連れてきてもらった

車を降りて村の中を歩く
村中の人が僕たちを物珍しそうにみている
子供達も興味津々だ

あとでパパ氏から聞いた話だが
この小さな村に外国人が来たのは
初めてのことだったようだ

真相は不明だが
確かに子供達や村の人の反応は
初めてみる異国の人に示すものに

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旅の記憶 1994・夏 小さな村へ

旅の記憶 1994・夏 小さな村へ

30年前の夏
僕はペシャワールにいた

カイバル峠のガイドを申し出てくれたパパ氏
最初は半信半疑だったが
結果的に彼の案内で僕たちは目的を達成できた

当時の日記にも経緯は書いていないのだが
その翌日、僕たちはまた彼と会う約束をした

当時の日記より

AM7:30 パパ氏と約束通りレストランで再開
彼は最初 ひとり300ルピーで話を持ちかけてきたが
僕たちは1人100ルピーが限界だと言い続け

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旅の記憶 1994・カイバル峠の先へ

旅の記憶 1994・カイバル峠の先へ

30年前の夏
僕はパキスタンとアフガニスタンの国境
カイバル峠にいた

前回の続き
まだ読んでいない方は
こちら↓からどうぞ

このまま引き返すのかと思っていたら
車はさらに奥へと進んでいく

最後についたのは
アフガニスタンの街が見える丘

ここから先は外国人は入れないとのことで
警告看板がしっかりと出ていた

僕たちはそこから
遠くに見える小さな街を眺める

あそこにどんな暮らしがあるのか

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旅の記憶 1994・夏 カイバル峠

旅の記憶 1994・夏 カイバル峠

30年前の夏
僕はパキスタンとアフガニスタンの国境
カイバル峠にいた

シャムルート砦のゲートをくぐり
僕らは一路カイバル峠を目指す

この辺りはすでに
トライバルテリトリーに入っており
道路の上以外はパキスタンの法律が適用されず
道路を一歩でも離れると
その地域を支配している部族の掟に
従わなければならないという
特殊なエリアだった

人の往来はある程度あるが
普通の街とは少し違う
殺伐とした空

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旅の記憶 1994・夏 イスラムの街を歩く

旅の記憶 1994・夏 イスラムの街を歩く

30年前の夏
僕はパキスタンの
イスラマバードにいた

パキスタンの街を歩いて気がついたこと
活気にあふれ人も車も多い
時たま見える玉ねぎみたいな丸い屋根も
イスラムの国の特徴だろう

ただ、これだけ人がたくさんいるにの
少し違和感を覚えないだろうか

写っている人のほとんどが
いや、全員と言ってもいいだろう

男性しかいないのだ

これはこの写真がたまたまというわけではなく
街中で女性の姿を見る

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