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【連載小説】「雨の牢獄」解決篇(二)

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【注意】
本投稿は、犯人当て小説「雨の牢獄」の解決篇です。
問題篇を未読のかたは、そちらからお読みください。

※「雨の牢獄」についての説明はこちら

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「裏口にあったマットは、べっとりと泥で濡れていた」
 シートに背を預け、天井を見上げる黎司。
「見ただろう、瀬奈ちゃんも」
「うん。だけど……この雨だから……汚れていて当然じゃない」
「そうなんだよ。濡れていたということは、あの汚れはつけられてからそれほど時間が経っていない……この数日、あの一帯に降雨はなかったらしいから、昨日の午前中、月島邸の周囲の地面は乾燥していたはずだ……だから、あの泥は事件当日の降雨によって泥濘んだ後の地面の土だ、ということになる」
 虚空を見つめ、思考をまとめながら、言葉を継いでいく。
「足跡の主が裏口から離れへと歩いたなら、泥の付着したサンダルは離れにあるから、その行為によって裏口にあるマットが汚れることはない……つまり、あのマットの汚れは、サンダルの足跡の主が離れから裏口へと歩き、その後にサンダルに付着した泥を裏口で拭ったことを示している」
 沈黙したままの瀬奈。
「さっきの瀬奈ちゃんの推理だと、寅男さんは降雨後に母屋から離れに向かったことになっている……これだとマットの汚れが説明できないんだ」
 瀬奈が小首を傾げる。
 首を直し、髪をかきあげると、瀬奈が口を開いた。
「太郎さんを刺した後、離れにあったシャワーホースを伸ばしながら母屋に向かうの……このときマットが汚れて……あとはいまつけた足跡だけをシャワーで消しながらもう一回離れに戻る……これであの状況に説明がつくわ」
「そんなことをする……理由がないじゃないか」
「金槌よ」
 ああ、と黎司は声を漏らす。
「きっと寅男さんは、太郎さんのことを恨んでいたのね……だから離れで太郎さんを刺しただけじゃ気が済まなくて、それで、死体を殴るために母屋に金槌を取りに行ったのよ」
「だとしても……今度は、わざわざシャワーホースを使ってまで足跡を消さないといけなかった理由がわからない……その様子を誰かに目撃されたら言い逃れできないし……そもそも誰かが死体を見つけるまで、ずっとソファの裏に隠れていたというのも変だ。これこそ見つかったら意味がない……足跡を消して離れに戻って金槌で殴った後、母屋に戻ろうとしたタイミングで誰かがやってくることに気づいて、それで咄嗟に物陰に隠れた……その可能性も考えられるけど、それでもやっぱり、わざわざ足跡を消すというのは納得がいかない……」
 思いつくまま、疑問を列挙する黎司。
「うん。そうだ。自分以外の誰がどんな行動を取るか、雨がいつまた降るか、そんなことは知りようがない……目撃されるリスクを抱えながら、一往復分の足跡を時間と労力をかけて消したとしても……雨が降ってしまったら、誰にも、一筋だけ足跡が残った状況を見せることができなくなってしまう……足跡の工作現場を目撃される可能性……雨が降る可能性……そのふたつのリスクを甘受しながら強行するだけの理由が、僕には思いつかないんだけど……」
 そうね、と、瀬奈は息を吐いた。
 シルエットの口元が、心なしか笑っているように見える。
 苦し紛れだという自覚があるのかもしれない。
「なにか……考えてるんでしょう」
 と言って、瀬奈はウインカーを出した。
「一回、休憩」
 コンビニエンスストアの駐車場に車が滑り込む。
 恒星のように明るく白い店内が、薄闇に馴染んだ眼に痛いくらいに染みる。

「解けたんだ」
 ハンドブレーキを引き、瀬奈がエンジンを止めると、雨がボンネットを叩く音が、静謐な車内に響いた。
 また雨脚が強くなってきたようだ。
「解けたんだよ……〈足跡の密室〉が……」 
 瀬奈がくるりとこちらを向いた。
 優しく微笑んでいる。
「休憩よ」
 と、彼女が言った。


※【解決篇(三)】に続く


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