【学校】コロナ対応の変化を、一人の教員として生徒に謝ってみた話。

1.コロナ後の現在

中学校で働いている教員です。コロナ騒動も2023年4月からやっと終わり、学校は日常を取り戻してきています。私自身も4月以降は、学校では全くマスクをしていませんし、それが学校でも推奨されるようになりました。
 しかし、3年間続けたコロナ対応はとても長かったため、この2023年夏の暑い時期でも、いまだに全くマスクを外せない生徒が多くいます。マスクしなくても良いのだよと言っても、外せない生徒がたくさんいます。

 学校での3年間のコロナ対応によって、子どもたちにも大きな影響を与えました。もしかしたら、結果的に、子どもの成長発達に何か大きなマイナス影響を与えてしまったのでは無いかと、心配をしています。

 様々な理由で顔を見せられなくなってしまった生徒たちが、将来大人になって、自然にマスクを外し、笑顔を見せて生活できるようになる日が、早く来て欲しいと願っています。

2.学校での対策

 私も学校現場で働く一人として、3年間の学校でのコロナ対応について、これで良かったんだろうか?他にどうしようもなかったのだろうか?と振り返って悩んでいます。モヤモヤしています。

 もちろん日本社会全体で公衆衛生対策を行っていたのだから、やむをえないですし、未知のウイルスだったからしょうがなかったということだと思います。日本社会全体で対応してきたことを、学校でもしっかり守らせただけです。コロナ対策への意見や評価については、世間でも様々な意見があり、評価も分かれるところです。私も専門家ではないので、様々な対応策が良かったのか悪かったのかそれはわかりません。

そして、私も組織で働く現場の一人の教員として、学校のコロナ対策の方針には逆らえず、きちんと文科省推奨のとおりに対応をしてきました。
具体的には①マスク②黙食③ソーシャルディスタンスを中心とした対策です。たぶん全国のほとんどの小中学校は、同じようなコロナ対策を行っていたと思われます。
 その結果、子どもたちは①学校では顔が見えない、②なるべく話をしてはいけない、③グループ活動ができない、などの生徒同士の自然な交流が制限され続けた3年間でした。
 
 もちろん社会全体がそのようになっていたので、社会の一部である学校もそのように対応したのだと思います。だから「しょうがなかった」と言われればそのとおりです。しかし何かずっとモヤモヤしています。

3.対策の変化

とくにモヤモヤしたのが、2023年3月から2023年4月に様々なことが変更になった時です。3月まではずっとコロナ対策を継続してきたのですが、
3月の卒業式になって、急にマスクを外すように指示がありました。(ただし強制ではないとのこと。)
 昨日まで、ずっとマスクをするように言い続け、ずっと徹底をしてきたのに、ある日、マスクを外させるように指示がありました。

 これも社会からの要請で良かれと思ってそうなったと思いますが、現場としては、従来の説明とは一貫性がなく、上からの指示という以外に、あまり根拠もありませんでした。残念ながら、喜んでいる生徒はほぼいませんでしたし、マスクもほとんど外せませんでした。
 このコロナ問題の一番の難しい点は、良かれと思って言う内容が二極化しているという点です。どちら側の意見が良いのかは、個人によって分かれるところです。

4.現場の教員として謝ってみた

 2023年4月から、学校でもマスクやコロナ対策が正式に緩和されました。その時に、私は、3年間マスクしろ、しゃべるな、近づくなとさんざん言ってきておきながら、急にマスクしなくて良いと言うことに、非常に申し訳なさを感じました。なぜなら、何か根拠があるかというと、別に何か大きく状況が変わったわけではなく、政府や文科省が対応を変えなさいというから変えるからです。
 私は、ずっと学校でのコロナ対策を早く緩和して欲しいと願っていました。だからこの変更は願っていたものでした。にも拘わらず、実際にそうなると、現場の教員として、どのように生徒に説明すれば良いのか迷いました。

私は、とりあえず、生徒に正直に話をして、謝ろうと思いました。
学校で3年間マスクを強制したり、しゃべらないようにしたり、近づかないように言い続けて申し訳なかったと。コロナのことがあまりわからなかったから、そのように対応してきたけど、状況は変わって、もう心配は少なくなったから、もうマスクはしなくても大丈夫だと。
 3年間、コロナ対応を強制して、つまらない学校にしてしまって申し訳なかった。社会全体がそのようなコロナ対策を行っている状況で、学校もやむをえなかったんだと。急に変わって不信感はあると思うが、ここからは、マスクなどは自分の判断で決めて良い。マスクを強制して、様々な行動の制限をしてきて申し訳なかったと。
 生徒たちは、私の正直な謝罪を、けげんな顔で聞いていました。もちろん、学校現場の一教員が謝ることでもないだろうし、謝られる方も、あなたに言われてもね、という感じだと思います。
 しかし現場で、生徒に対して様々な制限を行ってきた立場として、何かを言わずにはいられなかったです。(懺悔や贖罪、もししたらただ誠実な人ぶりたかっただけなのかもしれません。)

  世の中の当たり前や、価値観は、時と場合によってどんどん変わります。世の中はきっとそういうものだと思います。だけど、学校として急激に変更されたならば、やはりそれについて、子どもに誠実に説明していくことが大切だと思っています。現場の教員として申し訳ないほど大きく変わるならば、またそれに加担していた立場ならば、まずその変更を謝ることも必要なのではないかと思います。教員が自分の考えや気持ちを、正直に生徒に言えることが大切だと考えています。教員である以前に一人の大人として、わからないことをわからないと堂々と言えるそんな学校や教員でありたいなと思いました。                      以上です。

 ※レベルは全く違うけれども、日本で終戦後に、学校で180度教えが変わった時も、似たような感じだったのかなと思いました。当時の現場の教員はどのように感じていたのでしょうか。ふと気になりました。

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