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『カフェの空想』

私は、あるカフェにて、奇妙な容姿をした男に目を奪われていた。その男は、まるで本の中から出てきたような見た目をしていた。男がこちらに気づき目が合ってしまった為、私は咄嗟にメニューの方に視線を逸らした。しかし、その男は近づいてきて、私の顔を覗き込み、こう言った。

♤「君、本は好きかい?」

ふわっと本を開いた時の匂いがした。間近で見た男の顔は、猫のような無邪気さとどこか冷たい鋭さを持っていた。その異様さに、思わず先ほどの質問に「はい」と答えてしまった。

♤「じゃあ、空想をするのは好き?」

私を捉える瞳はまるで、宝石のように煌いていた。

♢「はい....」

♤「君、早く終わらせようとしているでしょう。」

そう言って男は猫のように目を細めながらムッとした。

半分図星だったが、男はどうやら機嫌を損ねてはいなさそうだったので胸を撫で下ろした。

♤「まあいい、次が最後の質問だからね。君は僕を信じる。」

♢「....え?」

♤「ああ、質問ではなかったか、おめでとう、合格だよ。」

そう言って顔を少し傾け、男はにっこりと微笑んだ。

よく分からずに顔を引きつらせている私をよそに男は続けた。

♤「僕は小説家だよ。そう、君は、僕のところで働く為にここに居たんだ。何故そう思うのかって?今僕が決めたからさ。あはは!なんたって僕は小説家だからシナリオを大事にするんだ。最近は人手不足で人を探していてね、猫の手も借りたいくらいなんだよ。ああ、でもそんなに大勢を雇う気もないし....君みたいな死んだ眼をした子を探していたんだよ、まさにぴったりだ!君、仕事は?」

♢「…死ん…え…?えっとあ…」

♤「それは素晴らしい、決まりだ。ああ、もちろんお給料は払うよ。例えば君が恋なんてしなくたって、一人で生きていけるようにね。」

そう言って男はウインクでもするように、見透かしたような目をした。
実際にそれは、すごく魅力的な「台詞」だった。

普段警戒心が強い方の私だが、こんなに怪しくて意味の分からない展開を信じさせる何かが男にはあった。否、私はただ、信じたかっただけかもしれない。


黙っている私に、男は、やれやれというような顔で口を開いた。

♤「僕は、小説のように生きると決めている。もっとも、現実は本来小説のようでなければならない。さもなければ、この地獄みたいな世が中和されないからさ。君もそうは思わないかい?」

__現実が小説のようであったら良いのに。今まで何度考えてきたことだろう。私はいつだって現実には起こらないようなことを求めてきた。しかし、それは一種の現実逃避でもあり、現実は小説とは程遠くてがっかりだった。

こんなこと起こるはずない、そう警戒し始めた私を前に、男はこう言った。

♤「いいだろう。一つ約束をしよう。約束は安心だからね。」

♤「僕は君を、君の人生の主人公にする、そう約束しよう。」

(__今これを読んでいるそこの君、君だよ。そう君だ。自分の人生の主人公は自分で決まっているじゃないかって?)

♤「君は自分の人生なのに、主人公として生きていないようじゃないか。主人公はそんな風ではいけないよ。僕は、主人公にはもっと新しい風が必要だと思うね。」

私にはもうこの瞬間、目の前にいる男は救世主に見えてしまっていた。退屈そうにカフェの店内を見ている男は、私が瞬きをする合間にもまるで夢が覚めてしまうように、ぱちん!と消えてしまうかもしれないと思った。

♢「主人公は、主人公は生きている意味がありま....いや、主人公はハッピーエンドですか?あの、私...わたしは...」

自分でも何を聞いているのかよく分からなかった。恐らくそれは祈りだった。自分の人生の結末は誰かに託してはいけない。そう分かっていても、誰かに大丈夫だと言って欲しかった。何度も泥に塗れた、呪いのようで、切実な祈りだった。


♤「愚問。君、分かりきったことをわざわざ聞いているのかい?」

男は片方の眉を上げてそう言った。さっきまで猫のようにあはは!と笑っていた男はこの瞬間、鋭い刃のような眼光を放った。私の心がひんやりして、そのあとゴトンと重たくなった音がした。私はなんて馬鹿げていて愚かなんだ、救いようがない。他人に生きる補償を求めるな。それもさっき会ったばかりの人間に。家に帰ってから部屋を真っ暗にして泣く私__というバッドエンドが見えた。

♢「すみません。帰りま...

♤「いいかい、申し訳ないが、君がどんなにバッドエンドを望もうと、ハッピーエンドに決まっている。君がどんな地獄にいようともね、僕は小説に嘘はつかない。どうして分かるのかって?あはは!僕が決めたからさ!だって僕は昔からず......君、ところで何故泣いているんだい?」

その男は、カフェを出て近くにある仕事場を案内すると言った。本当にこれで良かったのだろうか、不安と期待で心臓が高鳴りながら、私の前を歩く男を見ていると、男は振り返って私に手を差し出し、こう言った。


「さあ、君の小説はまだ始まったばかりだ。」


____その時、本を開いた時の匂いが私を包み込んだ。私の心がカランと軽くなった音がした。



(__もっとも、君の小説をハッピーエンドにするのは君自身なのだけどね。君は今は分からなくていいだろう。いつか必ずそのときがくるのだから。何故そんなことが分かるのかって?あはは!僕が決めたからさ。そう、これを読んでいる君にも僕は言おう、君は大丈夫だと。)






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