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祖父の手を握っていたあの日


人って必ずどこかで傷つく。
何かの出来事で、何かのきっかけで。

ただただ時間は進むばかりで。
傷が癒えたかと思えば、そうではない瞬間が必ず来る。


「いじめられた」
という事実はいつまでも消えないし。
「亡くなった」
という出来事も無かったことにはできない。
「別れた」
という過去もこの先残っていく。


何気ない日々の中で、いつも通りの日でも。
たまに、しんどい。

ご飯を食べていても、晴れた日に洗濯物を干しても、暖かい日に外を歩いても、好きな曲を聴いても、シャワーを浴びても、ふかふかな布団に潜っても。


わんわん声を出して泣いた日を急に思い出す。


私は亡くなった祖父の声を聞きたい。
説教じみた、ダラダラと長い話を今は何時間でも聞きたい。

普段は威厳のある無口な祖父が、お酒に酔うと饒舌でどこか情けなくてあまり好きでは無かったが、いつもとは違う気の抜けた笑顔は好きだった。

祖父は車が好きで、私はよく助手席に乗った。
車内はタバコの匂いがしてタバコやめてくれないかな〜と思っていたが、祖父の家と喫茶店限定のコーヒーとタバコがセットになった匂いは好きだった。

うだるような夏の暑さなのにクーラーはつけずに、窓を開けて過ごす日も好きだった。鈴虫とカエルの合唱も好きだった。

祖父が時代劇を観る日は、必ずいびきをかきながら寝るのに、チャンネルを変えるとすぐ起きるのは未だに謎のまま。


色んな美味しいものを食べさせてくれたし、私の知らない場所に連れて行ってくれたし、嫌いになった時もあって。それがただただ家族だなと思う。


そんな祖父が亡くなった時は、不思議な感覚だった。言葉には表せなくて、難しい。悲しいとか絶望とかそういうものじゃない。

後悔と楽しい記憶とまだ死んでほしくないという願い。

何色か絵の具をパレットの上で混ぜた時にできる、曖昧に出来上がった色みたいな。そういう、曖昧な複雑な気持ち。


祖父の温かい大きな手で頭を撫でられた時も。
「好きなことをやりなさい」と言われた日も。
私と祖父が生きている時間が重なった時に一度だけ作ってくれた朝ごはんも。
お見舞いにあまり行かなかったことも。
祖父を避けていたことも。

私は一生忘れない。忘れたくない。絶対忘れない。


今まで生きてきて、目まぐるしく生きてきて、それでも尚、悲しかった事も思い出にして生きていく。


今があるのは、過去の出来事から成り立つもの。
その人にはその人なりの人生がある。
だから難しい、分かり合うのは。


衝突は避けられないし、孤独と向き合う時間は必要不可欠。


甘えたって、逃げたって、全然いい。
だけど
甘えてもダメだし、逃げてもダメな時もある。

そんな曖昧な、ゆらゆら揺れながら生きていいんだと思う。完璧なんかいらない。

悲しみに触れてどうしようもなく心が締め付けられて、夜中に泣いたっていい。
それでも頑張らなきゃ、って意気込んでもいい。
今日は休もう、って甘やかしたっていい。

全部全部。ぜーーーんぶ。
記憶して、泣いて、笑って、寝て、起きて。
好きな人と過ごすも良し、一人で過ごすも良し。

悲しみの果てでも、どん底でも。

影に隠れた日があってもいいじゃない。
陽に当たれば日焼けしちゃうし、干からびちゃうし。

泣いたいつかの日を思い出しても、大丈夫。


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