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ヤクザと祖父の死①

 「君はヤクザについて詳しいんだね。それは面白い。今度講義してもらいましょう。」
 教授の言葉を耳にしたとき、当初はジョークかと思って笑って聞き流したのだが、回を重ねるたびに「で?いつやるの?」とキラキラした眼でせっつかれるので、どうやらやらざるを得ないと覚悟を決めた。良い勉強の機会だと思うしかない。

 大学院に入ると、それまでの牧歌的な学生生活とは一変する。大学院も暇なのだから楽だろう、と感じる方もいるだろうが、とんでもないことである。大学院生ほどアイデンティティが不安定で宙ぶらりんな存在があるだろうか。特に文系の大学院生なら尚更である。就職活動が上手くいかず、2年間の猶予のつもりで院に進んだ僕は、すぐはやとんでもないところに来てしまったと悟った。学部生時代とは段違いに勉強しなければならないし、プレゼンでは鬼のような教授たちに鋭い叱責を浴びせられる。特に、僕のいる専攻は特殊だったため、同期たちの研究テーマもバラバラである。互いに切磋琢磨しあうこともなく、孤独に自身と向き合い、難しいテキストに向き合わねばならない。こんなこと、入る前から気付くべきだろう。そうなのだ。僕は完全に甘くみていたのである。

調べたらこんな本まであるのか。

 僕の研究テーマはとある映画についてであった(特定を避けるため詳しくは伏せる)。昔からこのテーマに関しては他の趣味とは一線を画すような関心を持っていた。これでならば、研究するにしても付き合っていけるだろう。そんなふうに思っていたが、ここは大学院なのである。修士論文で好きなテーマに長期間向き合うということは、「無人島で好きな食べ物をひとつだけ持っていけるとしたら…?」ということと同じなのだ。研究テーマの方針も上手く定まらず、教授の叱責を受け続け、更には夏に襲撃してきた害虫トコジラミの度重なる被害もあって、大学院も秋になる頃には僕はすっかり勉強が嫌になっていた。院生の本分である勉強もせず、だったら僕は何なのだ?と自問自答する日々が続くのだった。精神的に辛くなってバイトも辞め、金も無くなり、暗い六畳間でテーマに繋がるやもしれぬ本を読み漁る毎日。A教授に出会ったのはその頃である。

 大学院の授業は少人数のものが多い。必然的に教授とのコミュニケーションは密接になる。プレゼンテーションの発表があるのもあれば、教授がただ一方的に喋くるだけ…というのもある。A教授の授業は後者であった。彼の授業を選んだのは、何となく「面倒くさくなさそう」という理由からで、この動機からしても既に院生失格であるが、しかし教授の授業はなかなか面白かった。教授はもう後期高齢者に近いお年である。見た目は好々爺といった風情であるが、主張は過激で偏りがあった。だが、偏りがあるがゆえのエネルギーのようなものがある。教授はいつもマフラーと帽子を被り、高級そうなコート(ファッションに全く詳しくないのでこのような表現しか出来ないのが歯がゆい)を羽織ってやってきては、穏やかそうな瞳をたたえて院生たちを見渡す。そして落ち着いた声で静かに語りだすのだった。今でも思い出す。それがまた、枯れた紅葉の落ち着いた季節を思わせるのである。そうだ。あの時は確かに晩秋だった…。

松岡正剛さんをハゲにしたらA教授になると言えばイメージしやすいだろうか

 「水増しくん。君の研究テーマは何だい。君は専攻が違うよね。」
 ある日、教授が話しかけてきた。先生は一人だけテーマとは沿わない学生がいるのに興味を持ったようだ。すかさず答え、雑談する。研究テーマの一環でヤクザについて勉強していると言うと、「それは面白い!今度君に講義してもらいましょ。方法はパワポでもプリントでも、何でも任せるよ」と眼を輝かせて仰せられるのだった。教授はそのとき70歳で、ヤクザがまだ法律で縛られる前の元気な姿を見せていた時代に青春を謳歌していたはずである。とりわけ興味をひく話題なのだろうか。最初はジョークかと思い、笑って聞き流したが、回を重なるごとに講義の件を言われるので、12月24日のクリスマスの日にパワーポイントを使ったプレゼンテーションを行うことを約束した。だが、それを語る前にもうひとつ話さねばなるまいことがある。(続く)

 

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