心が疲れた時に思い出したい聖書の言葉
体だけではなく、心も「疲れた~」と感じることは、きっと誰にでもあることでしょう。
仕事、人間関係、恋愛などがうまく行かなかったり、時間に余裕がなくてプレッシャーに追われたり、残業や介護や育児で疲れたり、あるいは、努力がなかなか結果となって現れなかったり・・。
そんな時に思い出すといい聖書の言葉を紹介したいと思います。
一人で重い荷物を負っているように感じる時、自分は一人ぼっちじゃないと思い出してください。
祈って、心の重荷を主にゆだねるなら、主はそれを代わりに、あるいは私たちと一緒に、負ってくださいます。
主に話す以外にも、信頼できる友人や家族などがいるなら、辛い気持ちを打ち明け、話を聞いてもらうといいかもしれません。
荷が重すぎる時には、他の人に頼り、助けを求めることも、大切です。
相手の人にとっては、そのように助けることもまた、キリストの愛の律法を実践することになります。
心が疲れた時には、神の造られた自然の中で、癒やされ、リフレッシュされてはいかがでしょうか。
また、この聖書の箇所でイエスが言われたように(マタイ6:25-34)、自然を観察することによって、神が(自分を含めた)すべての被造物に豊かな愛を注いでおられることが分かるなら、思い悩みが小さなものに見えてくることでしょう。
疲れたと感じる時、それは体や心からの注意信号または赤信号なので、無理しすぎることなく、休息を取ったほうがいいですね。
神が私たちに期待しておられるのは、それぞれの能力に応じて行動すること、自分に与えられた能力を無駄にしないことであり、私たちが限度を超えて無理をし、体や心を壊してしまうことは望まれません。
私たちは、高すぎる理想を持ち、完璧さを求めることによって、疲れてしまうこともあります。
イエス・キリストが、弱い人間の姿で十字架につけられたことで、神の復活の力が表されたように、私たちもありのままの自分の弱さや限界を認めることで、かえって神の力によって強く生きることができます。
疲れた時にはネガティブになりがちなので、意識してポジティブなことに目を向けるのも助けになります。見渡せば、小さな幸せがかならず見つかるものです。
これは、「私たちが苦しんでも、神は気にかけてくれない」と言う人たちへの答えです。(イザヤ40:27)
そう感じる時には、私たちが自分の問題にばかり目を留めているので、神が助けようとしておられるのが見えないだけなのかもしれません。
自分の力でなんとかしようとあがいたりせず、神に目を向けるなら、天からの力が与えられるという素晴らしい約束です。
普段から、もっと神の力に頼ることを学び、疲れた時には、神の元へ行って休みを得られますように。
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