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私は一体何者なんだろう。           ~トラウマからの脱却~

喫茶店の窓からぼーっと街路樹の葉っぱが風に揺れるのを見ていたら、なんだか心が静まり、
「あぁ、今日まで頑張って生きてきたなぁ。生まれた時から、いえお腹にいる時からすでに違和感を感じ、悲しさ絶望感を味わいつつも、明るくたくましく生きてきたなよなぁ」
とふと思った。

日差しを浴びて揺れる葉っぱが、心地よくて心の振動と共鳴しているかのようだった。

私は一体何者なんだろう。

どんな人間だったっけ。

今までの自分(明るくて社交的)と今の自分(内向的で静か)がまったくの別物のように思えて、自分というものがわからなくなる。

生きるということは、本当は恐ろしいことなのではないか。
こんな自分をさらけ出していいのだろうか。

痛みも悲しみも、望みが持てない絶望も知った。
心は傷つくんだということも知った。

母の両親が母が幼いときに亡くなってしまったのは、母のせいではない。
母が子育てを苦しい、苦手だと思ったことは母のせいではない。
すごい形相で追いかけてきて、あの時私の太ももをつねったのは、、、、。

そんな母のそばにいた私も、チャレンジングな日々だったってことだ。

できれば温和で優しくて、一緒に遊んで楽しんで子育てしてくれる母親のもとで育ってみたかった。
そうしたら私の人格も違ったものになっていた気がする。

こんなにも人に対して過敏にならず、のびのびと今を生きていたのかもしれない。
今からでもこの傷をくつがえすことは可能なんだろうか?
あぁ、また胸が息苦しくなってきた。

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