今ここ、の意味。             ~トラウマからの脱却~

「今ここ」という言葉をよく目にするようになった。
頭ではわかるような、、、。
みんな「今ここ」を生きているんじゃないの?
わかるようなわからないような感じだった。

最近、母との関係で、こんなにも自分は母のことが影響していたのかと思い知ったから、すべてのことがその心の傷を通してくる感覚に思えてしまい、母の持っていた心の傷の中に私がどっぷり浸かってしまっている感になってしまっていた。

好きな人と安らぎの語らいの中にいても、
「いつかこの人とも別々の道を歩いて、私のことなんて見向きもしなくなるんじゃないか」
と感じて、心のどこかでグーーーーーッとブレーキをかけていた。

関係が近くなればなるほど不安が増し、仲良しの段階から先に「別れ」を考えていた。
去って行かれるくらいなら、先に準備していつでも私の方から去れるようにしておこう、と相手のことを完全に信用できないでいた。

そんな時ふと、母も1歳で両親を亡くし、育ててくれた祖母も10歳で亡くなり、独りぼっちになった時、
「また人は去っていくのではないか」
と不安で、人を信じるのが怖かったのではないのか?と思った。

私はこんなにも影響を受けている、と頭をよぎった瞬間、
「今好きな人と一緒にいて楽しい。この瞬間だけかもしれないけど、それでいいじゃないか」
と妙にそう思ったのだ。
今おしゃべりしている。今一緒にいる。もうそれだけでいいや、って。

いつもは「私は大事にされていないんじゃないか?」とか
「私がいると便利だからそれが目的なのか?」
とか不安要素が次々浮かんできて、安心しきれていない自分がいた。

疑って見るから少しでも裏切りの片りんが見えると、心の扉がピシャンと閉まって相手を受け付けなくなる。

けれど
「今、確かに楽しい。それだけでいい」
って満足したら、急に大事にされているように思えた。不思議だ。

けれどまた、磁石に引き付けられるように、また不安になって心の扉を閉めてしまうだろうな。
なかなか「今ここ」をずっと維持していくことは厳しい感じがする。

できるかなぁ?と考えただけで胸が苦しくなる。

この時点ですでに「今ここ」じゃなくなっている。涙

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