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好き嫌いについての思索

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好き嫌いは「偏見(偏った知覚)」から起こる反応のひとつなのではないか?というところから始まった思索です。現在進行中です。
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好き嫌いについての思索 3

好き嫌いについての思索 3

先を続けて行く前に、記しておこうと思ったことがあります。

前回、好き嫌いの根である "偏った知覚" が、後天的なものかどうかを考察して、生後間もない乳児でもその芽は認められる、つまり後天的なものではないという内容になりました。

ここでいう後天的でないというのは、偏った知覚、偏見を生み出す「機能」とも言える意識の構造のことを言っています。偏見の「内容」、つまり何を好き嫌いとするかは、その人が生ま

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好き嫌いについての思索 2

好き嫌いについての思索 2

前回の記事『好き嫌いについての思索 1』より
「主観的に判断あるいは断定する」偏った知覚の状態が、
意識を介してほぼ反射的に、他者に向かって起こされる。

どうしてそうなるのか。
その偏った知覚はどこからくるのか? 
ここから続けてみます。

※ 前回に引き続き、好き嫌いというテーマにおいて、好き嫌いを「偏見」すなわち "偏った知覚によるもの" の一つとして仮定し、思索を進めています

この "偏

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好き嫌いについての思索  1

好き嫌いについての思索 1

人に向かう/向けられる「好き嫌い」とは、まず、偏見の一つの形態ではなかろうか。

粗削りながら書き起こしてみると
「主観的に判断あるいは断定する」偏った知覚の状態が、意識を介してほぼ反射的に、他者に向かって起こされる。
それに対してさらに、私たちが同調したり拒絶したりする反応が起こる。
それが、好き嫌いとして意識に上ってあらわれるのではと思った。

容姿、嗜好、価値観、性質/性格、物言い、所作、習

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