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純正じゃない思い。

 最近、"母に似て来た"と自分でも思うようになった。
以前ほど思い出さなくなっているのにも関わらず、日々、鏡に映る顔を見る度に"母"を感じる。
幼少期には、もうこの世から消えてしまったから、その記憶のほとんどはアルバムの中に在る。自分の子供と向き合う時、ふとスマホに視線を落とす時、
わたしは母親の姿をそこに見つける。


「空の色」HABU




 母は美大の学生だった。21歳でわたしが生まれた。わたしが絵が好きなのは遺伝なのだろう。手帳に走り書きのようにイラストの落書きが挟まれたものを見た時、「ああ、母はもっと絵の勉強を続けたかったんだろう」と思った。父なんかに出会わずに、わたしなんか生まずに、自分自身の人生を優先していれば…若くして死ぬこともなかっただろう。

 ずっと、そう思っていた。

 周りの大人が言う。
「貴女のお母さんは、本当に美しい人で優しい人だった」
生き残った娘には、嬉しいよりも重く沈みを感じる言葉でもあった。その裏に隠された「貴女を生まなければ、健康を損なうこともなかったのに」と突き付けられているような罪悪感があった。
 母が亡くなった27歳をわたしが迎えた時、父親も親戚も安堵したように「これから先の人生は○○○(母の名前)の生きられなかった時間を見るようだ」とわたしという器を見てから、頑張りなさいと静かに言った。
 実際に、物心がついてからは「生きられなかった母親の分も背負ってふたり分の人生を生きてやろう」と思って来た。医学はこれからも進歩して行くけれど、間に合わなかった母親への思い、親戚達への思い、自分の人生はある意味で「敵討ち」のようなものだな、辛くても挫折しても歩みを止めては為らないと。
そんな気負い以上の、勝手なプレッシャーを抱えていたから、その後パニック障害も発症したのだと今なら分かる。

 ぶっ壊れて理解した。


入院中の日記に母が描いた子供の私。長い治療の日々でメモや悪戯描きしていた姿が浮かんで消える。もう病状は末期だった。



 どれだけ頑張ったって、純正品じゃない模倣品には同じような生き方は出来ない。同じようで同じではない。でも、パロディにはパロディなりのオリジナルな生き方があるんじゃないか?その方が楽じゃないか?
 わたしは自分を自分で改めて俯瞰的に捉えた。
 内側と外側が統合された瞬間。


 別に結婚はしてもしなくてもいい。子供だって苦手だから欲しくない。そうずっと思っていた感情が崩れたその先で、わたしは自分の家族を持った。本当はとても悩んだ。自分を生きるに精一杯なのに、自分以外の人の人生に責任を負うことが怖かった。また自覚も持ち得ないと思っていた。でも、もし私が亡き母ならば、きっと……
思考回路に浮かぶ母親は穏やかに笑っていた。


鳥が一斉に飛ぶ瞬間は息が止まる



 白く眩しい光輝く草原にピクニックに訪れた時空へ遡る。そんな時いつも身体がふわふわする。魂が揺れるからだろうか?
 母親とレジャーシートを広げて、横並びに寝転んでいた。スケッチブックにクレヨンを手にしたわたしが太陽色のクレヨンを折ってしまう。母は気にせずに笑っている。
「○○の太陽は勢いよくていいね。土も草も空気もきっと、その陽に照らされて熱を持って皆んなが元気になる。ただ…猫のミミは木陰に逃げるわ」と言って、黒いクレヨンを掴んで画用紙にある木の下にミミを描き出した。

 わたしは当時、何歳だったのだろう。現実なのか、夢なのか、"黒いミミ"は実在した猫だ。

 続けて言う。
「○○、これからも絵を描きなさいね。あなたには向いているみたい。好きなことはきっと、いつか自分を助けてくれる存在になるから」

『そんざいって、なに?』

「ん〜…普段は見えるものだけだと思っていても、見えなくても確かに在るものかな」

『むずかしいね』

「うん、そう、難しいの」


 純正に拘らなくていいのだな。



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