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心の貴族・・・考えてみたことありますか?

に他界して15年ほどになるのですが、母方の姉が戦前に満鉄で働いていたそうです。
20歳前後の歳に単身満州に渡ったのも驚かされますが、満鉄で働いていたと聞いて、かなり優秀だったのだろうと改めて思うのです。
生前にはよく。「坊を満鉄会に連れて行ってあげたいと」言ってくれていたのですが、結局その約束は果たされないまま黄泉の国に旅立たれたしまいました。
ちなみに、私のことを「坊」というのが口癖でした。

賢い人で、常に読書をしていました。
私も本が好きだったので、よく叔母の家に行っては人生論等を語り合ったものでした。

何時も、金儲けになる話よりも、人生とは何か。よりよく生きるためには何が必要か・・・みたいな、凡そ金儲けとは究極的に対極にある所の話ばかりしていました。

本当ならそうしたのは、十分な蓄えがあって遊んでいても暮らしていけるような人がすべきことなんでしょうけれど、全くそれとは対極的なところにいた自分ですからね。

いつも叔母が口癖の良いに言っていたのが、「心の貴族」でした。

貴族・・・デジタル大辞泉を参照しますと下記のように書かれています。

1 身分や家柄の尊い人。また、社会的な特権を世襲している上流階級に属する人。明治憲法では華族といったが、第二次大戦後消滅。
2 特権を持つ者や優雅な生活をする者のたとえ。「労働貴族」「独身貴族」

https://kotobank.jp/word/%E8%B2%B4%E6%97%8F-50723

まぁ、私の場合は1はおろか、2にも該当しないのですが。
あえて言えば、心だけは2の優雅な生活をしましょうと言うことだったのでしょう。

ただ、最近特に思うのですが、経済的には優雅な暮らしをしている多くの人も拝金主義に走って、「心が貧しい」人も少なくないような気がします。

「お客様は神様だ」的な発想をするクレーマーなどを見ていると、今こそ「心の貴族」という言葉を思い起こしてしまうのです。

経済的に豊かなになったけれど、もっと大事なことを忘れているのではと思ってしまいます。

改めて皆さんに問いかけてみたいと思います、あなたの心は「貴族の心ですか?」と


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