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身体感覚から考える~逸脱する~

『皆さん、お元気ですか~』(井上陽水/●種・風に)(古)

ここのところ、仕事以外でテレビを見るのをすっかりやめて、YoutubeとかNetflix、Amazonなんかを見ています。

最近は、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(テレ東制作・Netflixで配信中)にハマっています。

内容は、ディレクターがカメラ一つで海外の各地へ出向き、その土地の人々の食を紹介するリポートなんですが、訪ねる地域が、日常離れしていまして。(たぶん)

人は誰であれ、自分自身のパーソナリティやライフスタイルなど、ある一定のパターンに沿って、生きています。(身体の感受性、つまり体癖も同様に?)

そのパターンの範疇から逸脱すること・させると思われることは、通常、不快なことと認識されるかもしれません。

ここ数年の生活では、コロナ騒動がありました。

「はやく日常を取り戻したいですね」なんてニュースコメントがありながら、なんだかんだでしゃあないなあと月日は経ちました。(結局ウィズコロナ)

(それぞれの日常って、同じようで違いますな)
(ん〜、変わらない日常ってあるんでしょうか)

誰だって、所属する社会で自分なりの起承転結(人生脚本)いわゆる、想定内に生活している方が安心できます。

自分自身にとっての無意識的な安定、つまり日常を覆されるのは、そもそも恐怖でしかないのかもしれません。そうすると、分かっている範囲、あるいは、分かったつもりの範囲のことを、変わらない日常というのでしょうか。

ドキドキはワクワクでもある?

単純に、未知って、不安を招くかもしれません。

だけれども、そもそも、ぼくらは等しく『一寸先は闇』の世界に生きているのではないでしょうか。

未知が不安を招いて妄想を増大させ、既知になってその特定の対象に恐怖したとしても、しばらくすると、肝が据わってくる。自然に、慣れてくる。

先の『ハイパー(中略)グルメリポ』を観ていても、全く自分と違う世界観(常識)に生活する人々の様子に触れると、私にとっては完全に逸脱しているかに映る世界にも、そこを基盤とした人々の喜怒哀楽や快不快があることと同時に、自分の日常のあたりまえが唯一ではないことを知って、なんだか肩の力が抜けて、ホッとする気がする。

(人が創っている以上、演出があるが、私的日常の範疇をハイパーに越えた自然体に近い自然、が観られる)

ぼくらの日常も実はそう在るんだと思いますが、どうでしょうか。どのような社会に、どのような関係性の中で私が存在していようが、いつのまにか、自分で自分自身を窮屈な概念の世界に閉じ込めていやしないか。

ぼくらは、どんな環境や境遇にあれ、自分自身をちゃんと活かして、生きているでしょうか。

単純に。最近、ワクワクしましたか?^_^

そうそう昨日、久々に壮絶な人生を生きた水木しげる(●種)の世界観に触れて、子供のころにどっぷりハマった生き生きとした実感を伴う想像の世界(妖怪)の感覚を思い出しました。(烏に話しかけて、妖怪ポスト、本気で探してました)

来月9月の体癖論講座では、感情の左右型から移行し、思考の上下型をやっていきます。私的には『思考停止』のメリット・デメリットを考えています。

秋の夜長に、体癖論を通じて他者を発見し、自分と出会いましょう。いつまでもこどものままに大人な方、すっかりおとなの皮を被った子供の方、今を、楽しみましょう。

お待ちしています。


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