身体感覚から考える~マルチ・バースな世界
~マルチ・バースな世界~
最近、『シン・ウルトラマン』観ました。
単純に、ええ映画やなあと思いました。
(体癖論的分析、宇宙とか次元等、オタク的お話がしたい方は講座にてぜひ!)
で、米津玄師さんの『M八十七』を、ひたすら聴いているんですが、
だんだんと、いろいろ染みてきまして。泣きそうになっております。笑
てなわけで、ちょっとそのあたりから、本題を。。
シン・ウルトラマンの劇中での、とあるシーンで、
『嗅覚』という五感の一つに頼るシーンがあります。
例えば、ぼくらも生活の局面で、最終的に頼るべきは、
自分の『身体感覚』だったりする場面がありますよね。
早々と梅雨明けしましたが、このうだる暑さの最中、
生ものだったり、水モノだったり、
傷んだものの摂取には、より注意が必要だったりする。
そうでなくても、常日頃から、
あ、なんかここ、嫌な感じがする!とか、
ん、ちょっと(今日の)この人おかしいな、とか。(笑)
なんだか、湧き上がってくる、そうやねえ、、
虫の知らせ的な、うまく言語化できへんけど、
瞬間的な感覚がある。
ほおっておくと、この忙しい毎日に、
即、埋もれて、流されてしまいそうな、それです。
皆さんは、どんな感覚を頼りにしてますか。(くんくん)
社会生活してると、ついつい、
周りに流されちゃいがちなんですよね。
『ン~やっぱりあの時の感覚(直感)に従っておけばよかった~』
なんてことが、振り返ってみると、あったりしませんか。
最近、ぼくは尿路結石に悩まされ、嫌でも、
『痛み』という感覚と向き合ったんですが、、
その実、
マルチ・バースな宇宙へ逃避したいぐらいの激痛に
『向き合ってなんぞ居られるか~!』で、
まったく余裕なくなり、ふらっふらになって、
あえなく悶絶。(合掌)
そうはいっても、やはり、諸行無常。(祝)
なんとか落ち着いてからは、ここぞとばかりに、
自身の感覚を、今、学んでおります整体的にも、
観察しようと試みております。(ぬかりなし)
そうすると、なんだかこれまで、
自分が知ったつもりの身体だとか、感覚だとかが、
実は『よくわからないことだらけ』で
楽しくなってきております。
『こころと身体、その個性と社会性』
自分自身について、どれだけ知っていますかね。
例えば、感覚ってもの、嘘ついたりすると思います?
確かに感覚は、身体の置かれた状況によって、
過敏になったり、鈍感になったりします。
鈍感にでもしていないと、この情報過多の都会では、
生きづらいのかもしれません。
(ある意味プロテクション)
今日も今日とて、我知らずのうちに、多々の
危機を回避してくれているんだと思うんですよ。
この、身体は。
動物やこどもなんかは、その感覚に忠実な世界に
生きているんだと思います。
かつては、ぼくらも同等に、そうだったんです。
いつのまにか、今あるあたりまえの生活に、
ぼくらの身体に、本来備わっているあたりまえが、
埋もれてしまっていないか。
身体って、ほんと不思議なんですよ。
いつしか、自分自身の棲家とその周辺を、
感覚しているつもりで、
限定しちゃっていませんか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?