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HARD THINGS:答えのない難問に私はどう対処すべきか?

ベン・ホロヴィッツの「Hard Things」は前職のゼロワンブースターでお借りして読んだ時、確かに共感はするがまだ本当にその局地を経験していないためか、どこか遠い話に感じた。しかし、今は違う。

それまで会社に全てを捧げて貢献してきた恩人が、成長を阻害している場合、経営者であるあなたはどう対処するかという問題が浮かび上がる。まさにHard Thingsであるが、この結論は状況により異なるだろう。

ナイキのフィル・ナイトと裏切り者と評された天才マーケターのロブ・ストラッサーの関係や、

アップルのジョブズを追い出したスカリー。

これらのトラブルは経営をしていると夢物語ではなく現実に起こりうる。

特に私のような未熟者はこうした失態をすでに1回に懲りず、数回犯している。

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facebookやnote, twitterで呟くのは良い側面ばかりだ。実際はその吉報を書くために、良いことの100倍以上は辛くて面倒な厄介に巻き込まれる。

正直、私はいかにも偉そうなことなんて言いたくはないが、生活する金を稼ぐためにはしなくてはならない。若いくせに、大したことがないくせに、生意気なという視線を毎日感じながら、知らん顔をしながら生きている。経営コンサルタントと胸を張って言える人間にまともな頭を持った人間なんているわけがない。自分でリスクを侵さないものに、他人のことを指南する権利なんてあるわけない。が、生きていくためにはそれをしなければならない時もある。ならば、自分の言動には常に責任と誇りを持って接するしかない。あくまで自分は使い捨ての歯車であったとしてもそれは同じだ。

生きていくためには、時折、学校の国語の教科書や道徳の授業で習う模範解答を無視しなければならない時がある。道徳になぞらえて、会社の従業員全員を地獄に突き落とすか、それとも一部の生き残りを作るのか。それを解くのは非常に難しい問題だ。この難問に対して自分の役割と哲学を判断した上で、決断しなければならない。決して100%は愚か40%ですら正しいとは思えない回答を出さなければならない時がある。

冷静に合理性を考えたときに、自分が悪魔よりも悪魔的な決断をしなければいけないことがある。特にスタートアップという組織と対面するときは、これが何回も自分に降りかかってくる。少なくとも、マネージャーという立場にあなたがいるなら。誰がみても良いマネージャーやリーダーなど存在しない。ならば、やれることは限られてくる。

もちろん、誰かを命をかけて守らなければならない時もあれば、傲慢になって手がつけられなくなった者に残酷な制裁を加えなければならないことがある。人間は神様にはなれないが、社会的動物であるがゆえに、生きていくため「泣いて馬謖を切る」ことをしなければならない時もある。

こんなことを知らずに、定年を迎えて生きるという人生が昨今非難される世の中だが、一概に非難されるべき事象でもないように思う。

だが、もし世の中を良くしようという野望を抱いて答えのない難問に挑戦しようというのなら、何を優先すべきか、何を叶えなければならないかを考えなければならない。

そういった意味で、成功者に完璧な聖人君主など存在しないのだろう。時折、偉人の失敗談やマイナスの側面がフィーチャーされる瞬間があるが、これは一人の人間である以上、仕方ないのかもしれない。

失敗しない人間なんていない。

ただ、どんな状況においても一人のエゴイズムに基づいた恣意的な幸福のために他者を犠牲にしてはならないだろう。一方で、なんの犠牲も苦しみもない成功も我々はみたことがないのだ。

と自分に言い聞かせてみる。時々、自分の心から湧き上がる感情に振り回されないように。

まあ、実際は、そんな感情のコントロールもままならない私なのだが・・・

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