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【広報日記】 よいも悪いもない、それが今のあなたの姿です。

 

大人になっても憂うつは消えておらず、優しい人たちから距離をとって きつねのように丸まっている日がある。そのとき時折、この一篇のあたたかい孤高をぼんやりと思い、安心して眠る。

鬱の本 P179


気づけば、水曜日。この記事を先週19日の金曜日に書いていた。けれど、うまく言葉にまとまらなくて、頭の中で混乱してきて、あぁ今日はもう無理だなぁと思って「下書き保存」をクリックしてパソコンを閉じた。

先週は、きつねのように丸まっている日が何日もありました。家事もそこそこに布団に入って丸くなって、本を読みながらうとうと眠くなってきたら、電気を消して眠る。身体は元気なのだけれど、心はまだ静かに休んでいたいようでした。

そんな身体と心の状態から、なんとなく気持ちがふさぐ・・・やや憂うつな5日間でした。それを悪いとか最悪と言いたいわけではなく「そういう日々だったね」という肯定的な意味です。

自分の心を丁寧に観察してみますと、これまでとは違うことを感じていました。それもこれもぜんぶ、『瞑想の森 内観研修所』に行った影響だろうと思います。


廊下を歩くたび何ども目にした言葉



●新しいわたし、こんにちは。

行ってきた感想を一言では語れないのだけれど、少し言葉にできそうなので今日は書き綴ってみたいと思います。

まず、私にとって必要な時間だったということ。意識が変わると、見える世界が変わるもので、物事に対してこれまでとまた違う見え方を手にしたように思います。

外の情報を一切入れずに、(もちろんスマホやパソコンも触れません)屏風の中で一日内観して過ごす。私にとって内観は、まるで玉ねぎの皮を一皮一皮丁寧に、自分を観察して、めくっていくような作業でした。

それと普段、外からのさまざまな刺激に影響を受けすぎていることが分かり、本当に見なければならないところを見つめずに生きていたことを思いました。なので、本当に知りたかった自分のこと。本当に向き合いたかったことに出会えた時間でした。


生かされている、ということ。

●何をしていたのかというと

行ったことはシンプルで難しいことではありませんでした。

してもらったこと』『して返したこと』『ご迷惑をおかけしたこと』 

三項目に沿って、身近な人(両親や祖父母、配偶者、子どもなど)に対する自分を調べていく作業です。
また年齢も区切って、0歳〜2歳、3歳〜6歳、小学校1年生〜3年生、小学校4年生〜6年生・・・というふうに調べる。

たとえば、「母親について」「0歳〜2歳のわたくし」を調べる。してもらったことは何か。して返したことは何か。ご迷惑をおかけしたことは何か。
面接者の方がいらっしゃるのでご報告する。そして次は「母親について」「3歳〜6歳のわたくし』をお調べする。

ひと通り母親が終わったら父親。さらに、夫、子ども。そして「嘘と盗み」「養育費について」もお調べしました。

一週間終えてあの日に思ったことは、とても心が穏やかだった、ということ。
今まで感じたことのない、心の状態でした。初めてでした。すごいなぁ、、内観、としみじみ感じた瞬間でもありました。内側で起こっているそれらは、言葉になりませんでした。そして、うまく今も言葉にはできません。


それなら、このふたつに気づけたことは私にとって大きかったと思います。

●感謝が足りていないことに気づいた

●相手がそう行動するには、その人なりの理由が必ずある

この気づきは、わたくしの人生に大きな影響を与えています。まず、今まで感謝が浅かったし、両親に対してやってもらって当然、してもらって当たり前でした。心から感謝なんて思っていなかったと反省しました。
また、相手の行動には何かしら理由があって、それを聞かずに責めてしまっていた自分に気づきました。話せば長くなってしまうので割愛しますが、とくに夫に対して、また子どもにもです、謝罪の気持ちが湧きました。

そうそう、内観中に思い出した本がありました。
こちらです。


2017年に発売されたもので今は新しいものが発売されています。
数年前にこちらの本に出会い、日常のマインドルフネスのことを知りました。たとえば、水一つ飲むことにも意識を向ける。無自覚に、流れるように過ごす日々をやめて、毎日の生活の中で「今この瞬間を生きる」ということを実践して参りたいと、集中内観によってその思いが強くなりました。



いま、いまををたのしむ

●日常内観

「集中内観」から帰ってからも、朝の掃除・瞑想(これらはもともと行っておりましたが)加えて「日常内観」も行うようになりまして。朝起きてから仕事するまでの時間の使い方が変わりました。 ランニングと、子どものご飯作りと後片付け、洗濯もあるので、あっという間に9時を迎えます。リモートのおかげでこれが叶えられていますが、出社の日はこの通りには参りませんので、内観と瞑想を夜にまわしたりと工夫をしています。


●心をしんとさせる

集中内観から日常に戻ったときに、その時間と人々や暮らしの流れに溶け込むのに、時間がかかっています。当然と言えば、当然のことなのだろうと思います。私は戻るというより、たぶん戻りたくない気持ちが強いんだろうと思います。そんなことを薄々感じている。毎日、心を静かにさせていたい。そうやって暮らしたいと望んでいる。


●頂いたご縁

このご縁を丁寧にいただきます、と手を合わせて大切にさせていただく。
去っていくものは追わず。出会いと別れを繰り返す。それが人生である。
友に「さようなら、また明日」と言うけれど、明日が来るかどうかは誰にもわからない。もしかすると一生の別れになることもある。「では、またどこかで」と、もうそれっきり二度と会うことはない人たちもいる。伝えたいことは、明日になればもう遅い。だからこの一瞬に思いをかけるということ。


●いいも悪いもない、それがわたしの姿

人は誰でも、今のこの瞬間を生きている。ここに今いるわたし以外にはいない。この一瞬を生きていること以外にはないのだから。だからこそ、今に集中する以外にはない。そのことを、表面的にわかってはいたものの、腹の底から「あぁぁ〜」と言葉が出てきてしまったほど深く頷き、わかりました、という瞬間がありました。

問題は、それを認識して日々を過ごすのか、まったく認識せずに日々を過ごすのか、これによって人生がまったく変わってくる。

いいも悪いもなく、これが今の私である。今日は良くて明日は悪いもなくて。毎日が同じ、良い日であるということ。大切な日が平等に続いていく。

こころしずかに


今のわたしが文章にできるところをまとめてみました。やっと言葉にできた、というホッとしたような気持ち。あれもこれもと想うなかで、まだ言葉にできないこともあるけれど、これが今日の私のベストです。

お読みいただきまして、ありがとうございました。
東京は桜も散りまして、葉桜となりました。新芽が顔を出しています。深呼吸しますと花の香りがして、目に映る新緑が美しい季節です。どうぞお元気でいてください。


◆内観研修所のnoteもありますので、ご興味ある方はご感想をぜひ読んでみてください。


ありがとうございました。
また行きます。