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アリ・スミス四季四部作④『夏』

はじめに

四部作全編を読み終えた感想

前三作品の伏線のように散りばめられたものたちが回収されていく。

四季シリーズで著者アリ・スミスは英国のブレグジット前後を背景に家族や人びとの絆を物語りそこに照らし出された社会問題を文学というスタンスで散文詩的に描いている。

時事問題に加えて、新型コロナは潜在的にあった分断や格差を浮かび上がらせたとも言える。

四部作一貫して、著者は社会の1番小さな、しかし基盤となる、家族の分断と融和や和解、邂逅がいかに大事なものなのかを人生の四季のようにユーモアと共に著者は訴えていたように感じた。

また、訳者木原さんの訳も幻想的なコラージュ再現をしているかのようなアリ・スミスの文体にとてもぴったりとしていて好みだった。訳し方だけでなく、韻踏みや注釈の付け方も解説も丁寧で、とても素晴らしい。
僕は個人的に『春』の怒涛の冒頭rapのようなパンチラインを良く訳してくれたなぁと感激した。

完結編となる本書『夏』では、いよいよダニエルの生き別れの妹の謎も明かされ、秋、冬、春で奏でられた旋律が、最終楽章で、ダニエルの元へと集約されてそれぞれの絆がハーモニーとして完成されていくようだった。

ダニエル、強い日差しから若い草木を守る老木。
太陽が社会、風が社会風潮だとすれば、それらから守るかのように、じっと長い時を経てなおかつ立ち続ける変わらぬ何か。それがダニエルのような気がする。希望への道標。人は自分自身の希望を二の次にしてでも、希望を持つことが大事であることを伝えようとするのは、なぜなのだろう。

太陽が社会といえば、アルベール・カミュの異邦人を思い出す。社会に抗い自己欺瞞に陥らないことを選んだかのような主人公ムルソーに、もし、ダニエルのような存在があったならば、孤独ではないことを望むのではなく、何か別のことを選んだかも知れない。


カミュの異邦人の冒頭は周知のとおり、読み手を一気に物語に引きずり込む力があるが、アリ・スミスも序盤で一気に心を掴みにくるのは凄いことだと思う。
映画にしろ、ドラマにしろ、小説にしろ、思想や社会学や経済の本にしろ、冒頭でいかに掴むか、話を聞いてもらう体制にするか、というのはとても大事なテクニックかも知れない。

また、全編通して移民について描かれているところも、ある意味では異邦人たちが主役かも知れない。

私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。
「異邦人」カミュ p156 新潮文庫

読了した日の時事問題─英国による植民地化から生まれたビルマの人びとの分断

さて、今回の『夏』は、いよいよ完結編となるわけだが、本書を読み終えた日、やはり重苦しいニュースは絶えなかった。

本書の舞台、英国スコットランドから少し離れて、ビルマ、ミャンマーのことについて触れたい。

国の分断、という視点で見ると、ミャンマーはアウンサン将軍の頃から複雑な分断の過程を背景に持ちながら、今に至ってもいる。

かつて、1000年続いたビルマ王国は、19世紀から20世紀にかけて、英国の支配下となり、国土の一部はインドに吸収されたりしている。
英国による植民地時代、ビルマは生産するための暮らしを強いられてもいた。

一九二〇年代にビルマで警察官として勤務していたジョージ・オーウェルは、このことをより簡潔に表した。「率直に言えば、イギリスが臆面もなくビルマの富を強奪したりくすねたりしているというのは、まぎれもない真実だ」。その数年後にロンドンで書き物をしていたオーウェルは、ビルマは実際に「ある程度まで」発展したが、賃金が生活費の上昇に追い付かず、植民地政府による税金徴収がますます過酷になるなか、ビルマ人は今や以前より貧しくなっていると考えた。「その理由は、イギリス政府が、インド人がまさになだれのように制限なくビルマに流入するのを許したためだ。文字通り人々が餓死している国から来たインド人はタダ同然で働き、その結果ビルマ人にとって手ごわいライバルになっている」
『ビルマ 危機の本質』タンミンウー著
今や暫定軍事政権は、二五〇億ドル規模の国家予算すべてを牛耳っている。たとえどのような財政引き締めが行われるとしても、その最初のターゲットが国防予算になることはないだろう。  だがビルマの人々は多大な苦しみに苛まれることになる。国連開発計画は、二〇二一年末までにビルマの総人口五五〇〇万人の半数が極度の貧困に陥ると予測し、国連世界食糧計画も、さらなる三五〇万人が危機的な飢餓に瀕すると憂慮している。生命を救う医薬品と治療手段は極端な欠乏状態にあり、通常新生児に接種される結核やポリオなどのワクチンが受けられない乳児の数は二〇二一年中に九五万人におよぶと推測される。もっとも深刻な困窮状態に追い込まれるのは、つねにもっとも脆弱な立場に置かれてきた人々だ。すなわち、土地を持たない村民、高地の農民、季節労働者、ロヒンギャの人々、南インド人の子孫、そして国内避難民となっている人々である。
『ビルマ 危機の本質』タンミンウー著

英国の植民地化(1824年ー1948年)によって、ビルマはかつて1000年続いた王国が解体され、君主や世襲を失ったビルマの人びとは1900年代初頭にはほぼ階級が皆無となっていた。
そのかわりに民族差異が新たなビルマ社会の亀裂となって表層化した。

ビルマ資本主義の問題やミャンマーが辿ってきた歴史を見落としがちだが、ここに至るまでは、前述の『ビルマ 危機の本質』に良く書かれている。

ぜひ、機会があれば、同じアジア圏で起こっていることを知る上で参考になると思うので読んでみてほしい。

ヨーロッパの大きな紛争や戦争となると、世界が一体化して自由や平和を訴えるが、アジアやアフリカでの時事問題は少しだけニュースになる程度である。

覇権争いによる分断は、前述のビルマだけではなく、1994年のルワンダもそうであり、ビルマ同様に植民地時代が終わったあとから土着の人びとの間に分断が生まれ、国連の遅すぎる介入で、たった3ヶ月という期間で、100万人前後の方々が亡くなった。

血まみれの暴力的な内紛や戦争を引き起こした西欧諸国は、介入に躊躇したり、介入しなかったりすらしている。

日本政府はミャンマー国軍に毅然とした声明を出していないどころか、士官候補生などを受け入れ訓練している。

岸信夫防衛大臣は2022年4月26日、衆議院安全保障委員会で、日本政府が新たにミャンマー国軍関係者を受け入れ、防衛省管轄施設で訓練を行うことを明らかにした。

同じアジア圏なのに国内でのウイグルジェノサイドの報道の少なさ、あるいは、国内の貧困格差の問題や政治とカルト宗教との関係など殆ど報道時間が割かれていない。国民の目を逸らすかのように、極めて重要度の低いものが延々とニュースが流れていたり。また、ウクライナでの戦争のニュースも日に日に少なくなってきてしまっているように思えてならない。

個々の小さな歴史と分断と本

分断から融和へ向かう為には、ひとりひとりが家族単位の生活のことから政治まで意見を持つことがとても大事である。これは当たり前のことにも関わらず、今の社会全体を眺めると、そうしたことは、自分とは関係ない、として社会全体が思考停止もしくは硬直化しているように見える。

自分のこととして捉えると、地域社会の行政の問題も見えてきて、単なる内省ではなく、社会に自らを投企した内省へと質が変わるのではないだろうか?

複雑な社会で、溢れるほどの問題、時間に追われた生活。1923年、ビルマで英国高級官僚だったJ.S.ファーニヴァルが「生産のための暮らし」と喩えたような暮らしを2022年の現在、我々もしている。

そのような中ですぐ目の前にある問題の本質や問題の切り分けというのは非常に難しい時もある。

しかし、小説は時として、最も簡単に、それらを眼前に見せてくれるキッカケになったりもする。

虚構の物語が現実では光を照射されないところに光を当てることもある。

現実に目の前で起きている、社会問題を浮かび上がらせ、読み手にそれまで読み手が持っていた視点とは異なる視点で考えさせられたり、ヒントを得たりするのも、文学のなし得ることでもある。

そして、それがユーモアのエッセンスと朗らかさに読後包まれたら、こんな素敵な読書時間はないのではないか?

社会問題をユーモア交えて描く

社会派小説で、かつ、ユーモラスに書かれた小説は国内だとあまりないような気がする。

僕が勉強不足で知らないだけかも知れない。

アリ・スミスの社会問題を浮き彫りにしつつもユーモラスに描く、というスタイルは、英国ならではなのかも知れない。
カズオ・イシグロはそうしたスタイルの代表的な作家のような気がする。
日の名残りや忘れられた巨人など。

※カズオ・イシグロの場合、アリ・スミスより対象領域がもっと広く、ミクロからマクロまでに一貫したいくつかのテーマを流しているようにも思えるが。

分断と融和が本シリーズのテーマであることから、僕はどうしてもカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』を思い出さずにいられなかった。

人間の底知れない欲望は、産業革命以降、資本主義によって加速され、その欲望は互いの分断どころか破壊と自滅へと向かっているかのように思える。

僕は足りていない知恵を自分でどうにかするしかない。だから読書して知識を増やして、身近な人たちに還元できる知恵に繋がれば良いなと思っている。

人それぞれ、生まれる前からそのひとの歴史はある。
お母さんとお父さん、兄弟、おじいちゃん、おばあちゃん。
生まれてからのそのひと自身の小さな歴史と合わさって、大きな弧を描くように、周囲の人たちの歴史と干渉し合いながら、ダイナミックに変化していく。

消費的資本主義かつ超絶個人主義的な現代では、その個人の描く弧の変化は非常に乏しいものになってしまっているのかも知れない。

煩わしい人間関係から生まれる干渉はハーモニーにするのではなく、ノイズと感じ遮断する。

ハーモニーにするにはかなり面倒だ。
時間的にも肉体的にも精神的にも。

分断してしまうとしても、遮断した方が一時的には効率がいい。

だから、絆なんていう古臭いものは煩わしいだけで、効率も悪いし、その延長線上に、他人の物語みたいな知らない国のことや、自分と違う境遇のことをわざわざ読書して知るなんてのは、時間の無駄だ。
ニュースだとか、情勢だとかはインターネットで検索してまとめてくれた暇人とか過去の論文だとかの要約を適当に繋げた人、あるいは本の帯とか、そういうのでかいつまんで要領よく適当に情報としてSNSで発信しておくなり、発信されたものをイイネしておけばいい。

ましてや文学なんて誰かのあらすじを適当に繋げたものを読めばいいわけで。


そんな風に現代の時間の余裕のない社会は他人の物語を要約で流すしかない。
要約は数分単位で流れてきて溢れるほどにある。
困ることはない。

いつか、誰も他人の物語を読まなくなるんだろうか?

現代という廃墟の中で


虚構の物語、空想の世界が照らし出す、現代という廃墟。溝や格差の作り出した分断は、おびただしいほどにある。

奨学金ローンを抱えていたり、給食費がはらえなかったり、保育園に入れなかったり、気さくに話せる隣人がいなかったり、物価高に対しての低賃金で生活に苦労していたり、周りのキラキラと否応なく比較してしまったり、心を病んだり、コロナのワクチンやらマスクするしない、税金のこと、色々。

小綺麗な生活空間や煩わしい人間関係のない「スマート」な社会。

無機質で中身のない生活空間で山のように溢れるほどの問題を抱えていても、他者から孤絶しがちな現代人。

他者との絆の希薄さ。
閉じた世界だけを低空から見つめて、時々、他人の揚げ足を取ることになぜか執着する。

もっと世界を広げて高い視座から、身近な問題を見れば、意外と解決するものもあるのに。

他者との絆がそうした世界を広げてくれる力にもキッカケにもなり得る。

その1番の基本は、やはり家族であったり隣人だったりする。

血のつながりによらず絆が太くなれば、それは家族と言っても差し支えないまとまりになり、いつも背中を押してくれる存在となると思う。

老木ダニエルの周りに芽吹く新しい若木たちが幸せでありますように。

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