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本屋プラグのためにならない読書⑧

先日、店頭での買い取りで、和綴じで製本された『大日本沿海実測録』という少し珍しい本が入ってきた。

もともとは、かの伊能忠敬が17年の歳月をかけて自らの足で全国を測量し、その死後、弟子たちによって完成された日本全土の実測地図『大日本沿海輿地全図』が、文政4(1821)年に幕府に上程された際、その地図と共に提出された付属の資料集だ。それを維新後の明治3(1870)年に大学南校が木版刊行したもので、忠敬が測量した場所の地名に地名間の距離、湖や沼、島の周縁などが記録されている。

今回入ってきたのは『大日本沿海実測録』全13巻14冊のうち、首巻と一巻、そして九巻~一三巻の計7冊。中には和歌山藩秘書寮蔵書之印の朱印記がある巻もあり、刊行とほぼ同時期に和歌山藩が入手したものだろうか(和歌山藩などは明治4年に廃藩置県で和歌山県になる)。
九巻には、紀伊国131の島々を実測、または遠測した記録が載っている。紀伊国牟婁郡の項には、島々に交じって橋杭岩などの名前も見られる。海士(あま)郡(現在の和歌山市)で実測されている「周廻一里一十五町二十三間」の地友嶋と、「周廻二里二町五十一間」の沖友嶋は、それぞれ友ケ島をつくる地ノ島と沖ノ島を指すのか。
この辺りは、和歌山の郷土資料を専門にしている「古書肆紀国堂」の溝端佳則さんが詳しいはずなので、折を見て尋ねてみたい。

それにしても、こうした島々や奇石の名称は、おそらく忠敬が実際にこの和歌山の地を測量しながら、地元の人々に聞いて回ったのだろう。そう思うと、教科書の中に登場する歴史上の人物が、身体性をもった存在としてイメージされる。
ちなみに忠敬が幕府からの許可を得て測量の旅に出発したのは寛政12(1800)年で、55歳のとき。そもそも暦学を学ぶため江戸に出たのが50歳で、そこから19歳年下の高橋至時の弟子になり、寝る間を惜しんで天体観測や測量の勉強をしたという。

年齢を重ねても枯れることのない好奇心と探究心を持った忠敬には漫画家、谷口ジローが2011年に発表した作品『ふらり。』でも出会うことができる。

本作は全国測量の旅に出る前年、幕府の許可を待ちながら、一歩=二尺三寸=70センチの歩幅で測量し、江戸市中と近郊を気ままに歩く忠敬と、その目に映る春夏秋冬の江戸の風景や風習、町民たちの暮らしぶりを詩情豊かに描き出す。
作中、潮干狩りに出掛けた品川沖では、地元の漁師から以前に品川沖に迷い込んできた鯨の話を聞かされる。漁師たちが追い込み、浜に打ち上げられた鯨の油を搾って肉を切り分け、一日がかりで解体した時の模様を、忠敬は漁師の話から想像するのだが、こうした物珍しい話は、この和歌山の地でも耳にしたり、また実際に目にしたりする機会もあったのではないだろうか。橋杭岩の伝説も誰かが語り聞かせたかもしれない。

そうした想像をすることも、また愉しい。(本屋プラグ店主・嶋田詔太)

https://mainichi.jp/articles/20211203/ddl/k30/040/440000c

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