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アスリートのキャリアハイライト/「就職活動」大学後の選択肢は、辞めるか実業団チーム。

大学での学業も単位も落とさず取れていて

ちなみに専攻は、文学部で言語コミュニケーション学域

(コミュニケーションってだけで楽しそうで選んだ。笑)

3年生になった頃、ある程度、卒業の兆しも見えていた時に

卒業後の進路を考え始めていた。

ホッケーを続ける先輩たちの選択肢は、一択

限られた数の実業団チームへの就職だった。

そこが日本のトップリーグであり、日本代表選手を目指す選手の選択肢。

大学の進学を決めた勢いの同じように、私も!先輩のように!と

そう決めていた。そんな中、大学3年生の練習中に転倒して

右足の前十字靭帯を断裂して、全身麻酔をかけての手術を受けた。

人生初の大きな怪我で、復帰まで最短で半年以上の

手術・リハビリ生活を送ることになった。

そんな状況で湧き出てき感情は、強いホッケーへの情熱と

このまま辞めて引退することが楽かな?だった。

地味なリハビリが続き、思うように動かない脚

そんな中、チームメイト、チームは成長し続けることへの

焦りや不安があったし、凄い辛い時期でもあり

自分をさらに強くさせてくれた時期でもあった。

そんな中、一つの実業団チームの監督との面談だあり

ありのままの自分の感情や考えを伝えた。

その時に返ってきたのは、

まだ成長できる、一緒に日本一を味わおう

海外への挑戦の機会もある

この二つが私の中で大きな後押しだった。

このチームに入ればまだまだ自分を成長させられる。

そう思ったから、「やります!よろしくお願いします。」と

こうして卒業後の進路が決定した。

もちろん安定した給料、生活、練習環境も魅力的だった。

あの時点で、ホッケーを辞める辞める選択をしていたら

大学の名前とホッケーでの成績を使って、

地元や地方での就職をしていたと思う。

もし、ホッケーを続けたかったらクラブチームもあったけど

実業団チームのように給料や待遇もなく、

ホッケーに集中できる環境がないのが現実だった。

マイナースポーツあるあるだと思う。

やるなら本気でが私のホッケーに対するこの頃の考えだったし

中途半端に続けるのは嫌だった。

選択肢が少ないのは、迷いが減る

多いと迷いも出るけど、自分の意思で考え、選択できる自由の幅は広がる。

私のこの頃の考えは、安定した生活基盤の中でホッケーに集中できること

実業団チーム、ビックカンパニーの元でプレーできることへの誇り。

多くの人の歩んだ道が、安全で成功だと思っていた。

そんな中でも、「何か人と違うことを」と私の中の隅っこで

囁いていたのは確かだった。

そして、私の社会人生活+セミプロホッケー選手としての

5年間が始まる。

THANK YOU,SWEET💚





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