意味について。

私は先ほど風呂から上がる時に一つのアイデアを得た。意味とは方向である。つまり存在で語ることはできぬ。ここに於いて「意味がない」というのは「意味がない」表現である。

方向と私が申してゐるのは、イメージで言えば力学の物が落ちていく方向に近い。是には位置エネルギーとかが関連してあろうが、そんなことを言えば忽ち物理の専門家にとやかく言われるだろうから、深堀はせぬようにする。取り敢えず、力学の話で喩えよう。我々が物体Aを持ったまま、静かに是を離す。すると、物体は地面に真っ直ぐに落ちていく。このときの真っ直ぐに落ちていく方向が即ち「意味」である。このとき、地面を含む空間や場全体は「話」や「文全体」などを、物体Aは「言葉」や「事象」ととらえてほしい。

すると以下の関係が直ちに解されるだろう。意味は、話や文全体の構造において観察することのできる結果である。そして、言葉や事象それぞれが合わさることで、話や文全体が構成され、そこには何らかの法則性が出来あがる。これが構造である。こうした構造により、新たな言葉や事象が出てきた時にそれについて何らかの解釈ができるようになる。つまり言葉や事象に意味がつく。ところが、話や文全体というのは固定的なものではない。新たに出てきた言葉や事象により構造は変化していく。したがって理論物理の世界とは異なり構造は流動的であり、意味は留まることを知らず複雑系のような作用を起こす。

我々は自らの「生きる意味」を問い続けるが、意味は存在せず、作るものでもない。ストーリーに備わった方向性である。而して、我々はどのようなストーリーに生きるのか、これを選択して始めて意味が観測できるようになるのである。

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