「ペンは剣より強し」について

最近。。
というよりここ数年この言葉の怖さをよく考えています

言葉一つで人を傷つけ、他人を追い詰める。
有名人、政治家、専門家のちょっとした間違い、些細な過ちを多くの人がX であげつらい、罵倒する。
自分と意見の違う人への攻撃を、常軌を逸するぐらいの激しさで集中し、謝罪や意見の変更を要求する。

表現の自由を盾に、ヘイトスピーチを発し、人を攻撃する。
自分と違う意見をヘイトスピーチ・差別と認定し、発言を抑圧する。
いずれも、この先の自分たちの首を絞めているのではないだろうか。
表現の自由、言論の自由は我々の最後の最強の武器だと思う。
ただ、多くの人々は今、表現・言論の自由を、共に我々の至上の権利として捉え、守っていくだろうか。

剣は一人を殺すことしかできない。
ペンは多くの人を扇動し、剣を持つ千人・万人を動かすことができる。

表現の自由は何を言ってもいい自由ではない。
人を傷つけ、攻撃することは表現の自由ではない。
批判は差別ではない。
意見が違うことも差別ではない。

海外で戦争が起き、人と人が殺しあっている現実を前に、
日本では、差別だ、ヘイトスピーチ、表現の自由だ、をもってX上で殺しあっている。
「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」
フランスのヴォルテールの言葉。
これこそが、我々が守っていくべき最も重要な規ではないか。

行き過ぎた言葉、批判がとても目につきます。
言葉を選び、相手に届くための言葉を連ねる。
正論であろうが、相手を罵倒して受け入れられることは決してない。
観客(第3者)としてみている我々が、どう捉えどう判断するかにかかっているのかもしれませんが。

と思う今日この頃です。





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