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【掌編小説】忘れられたとしても

 「え? どういうこと?」
 私は面食らって祖母に尋ねた。
 ここは病院で、私は入院している祖母の見舞いに来ていた。
 「だから、唯ちゃんの背中には白いはねが3枚、黒いはねが3枚があるってこと。それは、唯ちゃんが生まれた時からあるんだけどね」
 祖母は認知症で入院しているわけではなく、病の影響で体が弱っているとは言え、表情は真剣で話す口調もしっかりしていた。
 以前から祖母には、他の人には見えない不思議がものが見えると言われている。他の人を驚かせるから、という理由で、あまり具体的な話は聞いたことはなかったが。
 私は祖母の言う背中のはねについて、今まで鏡に映る自身の姿の中に見たことはなかった。
 祖母の目には、半透明で網目の美しい、大きなトンボや蝉、もしくは物語の妖精のようなはねが左に白く3枚、右に黒く3枚見えるそうだが、ほとんどの人には見えないだろう、と言われた。
 祖母は、はねは他に見ない異質なもので、呪いかもしれない、とも言った。
 「呪い!?」
 穏やかではない話だ。尋ね返す私に祖母は頷いて説明してくれた。
 それによると、白いはねは、死に行く者1人の命を繋ぎ止める代わりに、助けられた者は助けた者に関する記憶も感情も失ってしまい、黒いはねは、1人の命を奪うことと引き換えに10年くらいの寿命を失ってしまう力を持っているようだ、とのこと。
 代償を伴うような大きな力など、確かに呪いのようなものだ。
 それでも、私ははねの数と同じだけの、3人の命を繋ぎ止め、3人の命を奪うことができるらしい。
 祖母は、今まで黙っていたものの、遠からず死期が訪れることを察して、私に伝えておくことにしたのだそうだ。
 「もう唯ちゃんも18歳だし、やって良いことと悪いことをわかった上で、自分の責任で力を使うかどうかを決めていいんじゃないかと思ってね」
 「じゃあ、1枚目の白いはねはおばあちゃんの命のために使うよ」
 決意の面持ちで宣言する私に、祖母はそっと微笑んで首を横に振った。
 「もう私は随分長く生きてるし、先に天国に行ったおじいさんを、かなり待たせてしまってるからね。それに、唯ちゃんと過ごした出来事や思いを、全て忘れて生きたいとは思えないよ」
 そう言われたら、それでも……とは言えない。
 私は祖母の思いを尊重することにし、改めて多くの思い出について語り合い、感謝の思いを伝えた。
 別れ際、祖母は細い体で私を抱き締め、優しく頭を撫でてくれた。私も祖母を強く抱き締め返した。
 数日後、祖母は亡くなった。
 私は、祖母から聞かされた話を誰にも話すことなく、胸の内に仕舞っておくことにした。私自身が見えないものを説得力を持って話すのは難しく、他者が信じるとも思えなかったからだ。

 私は友達は多い方だが、特に親しいと言える者が2人いる。
 1人は同い年の竹野直道。人の良さそうな丸顔で小柄な彼は、さっぱりとしたフレンドリーな性格で、男女の隔てなく友達が多い。
 幼馴染で、小学6年までは近所に住んでいた彼とよく一緒に遊んだものだ。
 その後家族と共に隣町に引っ越してしまったが、通っていたスイミングスクールが一緒で、会えばよく話をし、陽気で楽しい話が好きな彼とは馬鹿話で盛り上がり、良い泳ぎが出来るよう励まし合ったりもした。
 中学を卒業して高校生となり、スイミングスクールをやめて同じ学習塾に通った私達は、模擬試験の結果を尋ね合ったり、将来について話したり、励まし合ったりした。
 私の気持ちに寄り添った上で元気づけようとしてくれる彼の言葉には、度々力を与えられたものだ。
 異性として好みのタイプというわけではないが、それでも大切な存在だ。
 もう1人は同い年で親友の小杉華。長めの髪を左右の耳下辺りで縛った穏やかで笑顔の可愛い女の子だ。
 彼女とは高校に入学して知り合い、1年の時は同じクラスでたくさんの場面を共に過ごした。気が合って色々親しく語り合い、放課後一緒に遊んだり、夜遅くまで電話で話したり、お互いの家を訪ね合ったりもした。
 楽しいことだけでなく悲しいことや悩みについてもお互いさらけ出して語り合った私達は、心の深い所で繋がっている絆があり、2年のクラス替えでクラスが別れて以降もそれは変わらなかった。
 私は大切な2人をそれぞれに紹介し、高校2年の頃からは時々3人で会ったりもする間柄となった。それは高校を卒業し、それぞれが別々の大学に通うようになっても続いていた。

 そして、久しぶりに3人で会う約束の日。私は駅を出て、待ち合わせ場所である駅前広場の特徴的なモニュメントに向かって足を速めていた。
 既に前方に見えるそのモニュメントは、目立ってわかりやすいことから丁度いい待ち合わせ場所になっているらしく、多くの人が集まっているようだった。
 すると突然、その群衆の中から、「うわー!」とか「きゃー!」という悲鳴が響き渡り、何人かが倒れるのが見えた。
 怒声を上げ、手に持ったおそらく凶器と思われる光るものを振りかざし、まるで無作為に次々と人々を襲っている通り魔らしき男も。
 「嘘……。華……! 直道……!」
 私は倒れている人の中に2人と思しき姿を見つけ、血の気が引いた。その場の多くの人が混乱している状況で、怒声と悲鳴が少しずつ離れて行くのを耳にしながら、私は2人の所に駆け寄った。
 「華! 直道!」
 直道は腹部を、華は左胸を刺されたらしく、服の上に広く赤い染みが広がっている。ぐったりと倒れた2人は、私の呼びかけにも反応がなかった。
 その時突然、私の左手の甲に十字の紋様が白く浮かび上がった。背中の左側が熱く、左手を2人にかざすと、その命が消えようとしているのが感じられた。
 祖母が話してくれたはねの力だと、私は咄嗟に理解した。今の私なら、2人を助けられる。死なせずに済む。
 2人と過ごして来た日々が走馬灯のように次々と思い出され、胸が締めつけられる思いに、涙が溢れた。
 私が助けたら、2人の中にある私との思い出も私への感情も、全て消え去ってしまう。まるで霧のように。まるで泡のように。
 それでも、助けられるのに助けなかったら、私は一生後悔するだろう。大切な2人だからこそ、生き続けてほしい。例え、忘れられたとしても。
 「おばあちゃん、私、やるよ……」
 私は涙を拭うと顔を引き締め、華に、そして直道に、十字の紋様の浮かぶ左手をかざした。
 やがて、確かに2人の命が繋ぎ止められたのを感じた私の手の甲からは、白く浮かび上がっていた十字の紋様は消え、左側の背中の熱さも収まって行った。
 サイレンを響かせながら何台もの救急車が近づいて来る音を耳にし、私は、「華、直道、今までありがとう。さよなら……」と囁くように呟くと、溢れそうになる涙を抑えて、その場を離れたのだった。

 事件が起こったその日の内に、通り魔犯が逮捕されたことを報道で知った。その後、救急車で病院に運ばれた華や直道他、被害者は、重傷の人も含めて全員が快方に向かったとのことだ。
 私は、やっぱり初対面のような顔をして見舞いに行こうか、という思いも過ったが、2人から見知らぬ者を見るような目を向けられることを想像するとつらくて、やめておいた。
 私は2人を失ったつらさを紛らわすために、大学での色々な活動に打ち込み、時が早く過ぎ去るのを願った。
 それから数年が経ち、2人と交流のない日常にも慣れて来たある日、偶然街中で高校1年の時のクラスメートに会った。
 当時はそれなりに親しかったその旧友から、華が結婚したという話を聞いた。
 見せられた1年程前の華のSNSには、結婚式の写真が載せられており、幸せそうな新郎新婦の姿があった。華の隣りに立つ新郎は直道だった。
 縁を失った立場だとしても、幸せそうな2人の様子に、しみじみと嬉しい気持ちになる。
 そして次に見せられたのは最近の様子だった。女の子を出産したという報告の記事。夫と話し合った上で、唯という名前に決めた、という言葉に、私は息を呑んだ。
 偶然かもしれない。
 それでも、失われた2人の記憶の中に、微かな繋がりの欠片を感じて胸が熱くなる。
 「唯ちゃん、か。いい名前じゃん」
 震える声でそういう私を、そっと風が撫でて行く。それは、頭を撫でてくれた祖母の優しい手のようだった。






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