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【短編小説】夢のあと

 「俺がどんだけお前に純情捧げて来たと思ってんだよ! この裏切り者!」
 パーティションで囲まれた女性アイドルグループ握手会のブース内。響き渡る怒声は、順番待ちをしているブース外の行列にも聞こえる。
 既に行列を離れてブースに近づいていた俺は、勝手ながらブース内に入り込み、怒りの形相をした30歳過ぎと思しき男が、ポケットからナイフを取り出すのを見た。照明を受けて刃がギラリと光る。
 「ゆみりん、逃げろ!」
 男がアイドル側と参加者側を遮るテーブルを乗り越えようと手足をかけるのを見る前に、俺は顔面蒼白で立ち尽くしている俺のアイドルに叫びながら、凶刃が少しでも彼女から離れるよう、男を抑えるために飛びかかった。


 俺の名は政彦。29歳の平凡なサラリーマンだ。
 事の始まりは約2週間前。
 年始用の商品を店先に並べて賑わう商店街を、年の瀬の日暮れ時に通りかかった俺は、片隅にポツンと目立たないように建つ、小さな建物の前で足を止めた。
 『夢売り屋』。看板にはそう書いてあった。
 ヤバい店かもと怪しみつつも、その時は急いで逃げればいいと思いながら、俺はその店の扉を開けた。
 暗く狭い室内にはタロットカードや水晶玉、アンティーク風の小物などが飾られており、一見占いの店のようでもあった。カウンター奥には薄紫色のヴェールを被った店の主人と思われる老婆が座っていて、俺は向かいの椅子を「どうぞ」と勧められた。
 「ここって、夢を売ってるんですか? あの、寝てる時に見る夢、ですよね?」
 「そうです」
 主人はニコリとして答えた。どうやら、将来の夢、という方の夢ではないようだ。
 「どのような夢をご希望ですか?」
 問われて俺は考えた。

 俺はここ数年応援している「推し」のアイドルがいる。名前は棚橋弓里。ゆみりんというのが愛称だ。10歳も年下である彼女との年の差を笑う奴もいるが、そんなことは関係ない。
 ゆみりんは長いストレートの黒髪で、目もパッチリしていて、凄く可愛い。だけでなく歌もダンスも上手で、一生懸命で努力家で、性格もいい。
 なんて言うと、他のアイドルを推している奴も同じことを言いそうだが、俺は彼女の輝く笑顔にハートを撃ち抜かれ、それから彼女の虜になったのだ。 
 ところが最近は、その彼女の笑顔も曇りがちだ。
 と言うのも、特定の相手と恋愛しないことを暗黙のルールとしている彼女達のアイドルグループにおいて、ゆみりんが某民放テレビ局のイケメンで有名な若手男性アナウンサーと、2人だけで親し気に街中を歩いているのをスクープされたからだ。
 しかもその若手男性アナウンサーは、半年前に一般女性と結婚して既婚者であることが世間に知られているため、余計にスキャンダラスな噂として騒がれていた。
 ゆみりんもその若手男性アナウンサーも、世間が騒ぐような男女の関係ではない、とキッパリ否定しているが、それにしては親密過ぎる、などと言って信用しない者は多い。
 生放送で視聴した歌番組での最新の映像では、ゆみりんは心労からか心なしかやつれているようにも見えた。
 それにも関わらず、1月に行われる握手会には出席予定という話だ。色々理由をつけて欠席することも可能だろうに、後ろめたいことがないから出席する、という態度が健気過ぎる。
 俺はゆみりんを信じている。もちろんアイドルだって人間だから密かに恋することもあるだろう。それでもあえて不倫するような子ではない、と思ってる。
 俺はゆみりんの笑顔を取り戻したい。ゆみりんを信じずに誹謗中傷し攻撃する奴から彼女を守りたい。
 新年に初めて見た夢を初夢と言う。諸説あるが、元日から2日にかけて見た夢、とする説が一般的だ。そして、初夢は正夢になる、という言い伝えもある。
 俺が望むような夢を初夢に見ることができれば、もしかしたら……。
 俺は意を決すると、夢売り屋の主人に希望の夢について話し始めた。


 元旦の日の夜、俺は夢売り屋の主人に言われたように、枕の下にゆみりんの写真が印刷されたグッズを入れ、ゆみりんを思いながら夢売り屋で買った小瓶入りの液体を飲んだ。それはほんの少量で、無味無臭だった。
 効果を期待しながら布団に入り横になった俺は、いつしか眠りに落ちていた。

 俺は握手会会場にいて、ゆみりんの列に並んでいた。
 俺は、これが自分の見ている夢だという認識があった。そう、夢の中において俺は、世間の常識や制約に縛られず自分の望むように行動できる。
 効果はあったようだ。俺はこれからこの夢を俺の望むようにする。
 とは言え、具体的にどうしたものかと考える。
 夢の中でまで馬鹿正直に行列待ちをしている必要はないかも、と思いながらも、行列が進む流れのまま少しずつ前進している自分を滑稽に思い始めた頃、前方にあるゆみりんの握手会ブースから突然男の怒声がした。
 中傷者がゆみりんを攻撃している! そう思った瞬間、俺は行列を離れ前方へ走り出していた。
 「俺がどんだけお前に純情捧げて来たと思ってんだよ! この裏切り者!」
 パーティションで囲まれたブース内に響き渡る怒声は、ブース外にも聞こえて来る。
 充分ブースに近づいていた俺は、そのままブース内に入り込み、怒りの形相をした30歳過ぎと思しき男が、ポケットからナイフを取り出すのを見た。照明を受けて刃がギラリと光る。
 「ゆみりん、逃げろ!」
 男がアイドル側と参加者側を遮るテーブルを乗り越えようと手足をかけるのを見て、俺は顔面蒼白で立ち尽くしているゆみりんに叫びながら、凶刃が少しでも彼女から離れるよう、男を抑えるために飛びかかった。
 男は俺を振り解こうと暴れ、その刃が俺の胸に刺さり、溢れ出す血で服が赤く染まる。
 「キャーー!! 政彦さん……!」
 俺を認知してくれていたゆみりんの声。
 胸から抜けたナイフが俺の足元に転がり、ブース内からスタッフに連れ出されるゆみりんと、複数人に取り押さえられる暴漢を目にしホッとした俺は、体から力が抜けて行くのを感じながら次第に意識が薄れて行った。
 そして目覚めた1月2日の朝。鮮明に覚えている夢の内容に、俺は衝撃で震えた。
 確かにこれは、ゆみりんを信じずに誹謗中傷し攻撃する奴から彼女を守る夢。それでも……これは、正夢になっていいのか!?


 結局俺は悶々としながらも誰にも相談できないまま日々を過ごし、握手会当日を迎えた。そもそも話したところで、「ただの夢だよ」と言われそうな気がしたのだ。
 握手会が始まり、俺はゆみりんのブースの列に並んだ。
 ゆみりんに危害を加えようとする者が現れないことを願いながら、もしそんな奴が現れたら、迷わず彼女を守るために行動するつもりだった。そう、初夢の俺のように。
 しかし俺の願いも虚しく、前方にあるゆみりんの握手会ブースから突然男の怒声が聞こえて来た。
 俺は初夢の出来事を追体験するように、行列を離れ前方へと走り出した。

 そして、初夢の再現のような危機的な状況が繰り広げられたわけだ。
 俺の他にも複数の男性スタッフが制圧しようと男に組みつき、男は俺達を振り解こうと暴れ、その刃が俺の脇腹に刺さり、溢れ出す血で服が赤く染まる。
 血を見て驚いた男の手からナイフが転がり落ち、俺は歯を食いしばって刺された脇腹を押さえながら、スタッフによってナイフが男の手の届かない所に蹴り払われるのを見ていた。
 ブース内からスタッフに連れ出されるゆみりんと、複数人に取り押さえられる暴漢を目にしホッとした俺は、怪我の具合を問うスタッフの緊迫した声を聞きながら、足を滑らせるように倒れ込み、次第に意識が薄れて行った。
 よかった……。俺はゆみりんを守ることに成功したのだ。


 「そういう時は、前もって相談しろよ! 何かいい考えが浮かんだかもしれないだろ!」
 ベッド横で声を上げるのは、病院に運ばれ手術後入院した俺を見舞いに来てくれた、友人の光太だ。
 「まぁ、そう言うなよ、光太。傷に障るし、ここでは迷惑になるぞ」
 その隣りでなだめるように諭すのが、同じく友人の良治。
 小柄で天然パーマに丸眼鏡の光太とひょろっと痩せて長身の良治は凸凹な2人だが、共に友情に厚い奴らで、高校3年生の時からの長い付き合いだ。
 「いい考えって?」
 病衣姿でベッドに横になったまま尋ねる俺に、光太は少し考えると、「不審者情報を匂わせて所持品検査を頼むとか」と提案した。
 それは妙案、というようにポンと手を打つ俺に、2人が溜息を吐いた。
 「……でも、俺が嘘を言ってないって、信じてくれるんだな」
 「まぁね」
 俺の言葉に、不承不承ながらも光太が肯定した。
 「事前にそんな夢でも見てなかったら、お前は順番が来てもいないのに勝手にブースに入り込んだりしないだろ」
 「確かに」と言って俺は苦笑する。
 「まぁ、夢売り屋の薬はただの水だと思うけどな」と言う良治に、光太も「軽いマインドコントロールだろ。悪く言えば詐欺」と同意する。
 「おい!」と声を上げた途端傷が痛んで、いたた……と脇腹を押さえる俺に、眉間に皺を寄せながら良治が、「大人しくしてろよ、政彦」とたしなめる。
 「でも、逐一本当になったわけじゃないけど、概ね正夢になったじゃないか」
 「逐一本当になってたら、今頃お前は死んでたかもしれない、っての。死んでもいいとでも思ったのか?」
 抗議する俺に、強い口調で反論する光太。
 「俺も、こんな事件が起きてほしいと思ったわけじゃない。ゆみりんに危害を加える者なんか現れない方がいい。でも、現れてしまったら守りたいとも思ったんだ。例え怪我をすることになっても。……まぁ、夢で見た以上に、だいぶ痛かったけど」
 力なく答える俺に、光太と良治は顔を見合わせる。
 「なぁ、政彦。お前が刺されたと知って、俺も光太も、すげぇ心配したんだぜ?」
 「そうだよ」
 2人の言葉が胸に染みる。
 「うん……心配かけてごめん。ありがとう……」

 「ところで、棚橋弓里、引退するんだってね?」
 光太の言葉でチクリと胸が痛む。
 「うん、そうらしいね」
 答えながら、俺は報道された内容を思い返していた。
 ゆみりんと親し気に街中を歩いていた若手男性アナウンサーは、ゆみりんの姉の夫、つまり彼女の義理の兄という関係とのことだった。ばったり街中で会い、つい親しく一緒にいる所を、運悪くスクープされてしまったわけだ。
 一般女性であるゆみりんの姉に迷惑が及ぶのを恐れて、今まで公表せずにいたものの、責任を感じたゆみりんは、全てを明らかにし引退を宣言した。今後は地元に戻って一般人として暮らすそうだ。
 これでゆみりんへの誹謗中傷は収まるだろうと思うと、ホッとする気持ちはあるものの、俺がもっと上手く立ち回って怪我をせずにいられたら、引退まではしなかったのではないか……と、申し訳ない気持ちにもなる。
 それでも、あれ以上に上手く立ち回ることはできなかったとも思うし、脇腹くらいで済んだのは幸運だったかもしれない。
 とは言え、そもそも俺が飛び込んで行かなければ、男性スタッフによって暴漢は制圧され、怪我人は出ず、ゆみりんも引退しなかったかもしれない。俺はただ、余計なことをしたのかもしれない。
 それでも、未来は誰にもわからないのだ。俺のしたことはただの自己満足かもしれない。それでも、ゆみりんに怪我がなかったことがせめてもの救いに思えた。
 「お怪我をされた方の一日も早いご回復をお祈りいたします」というのが、報道で俺へ向けて残された言葉だった。
 「きっと彼女も、政彦に助けられたことは忘れないだろうさ」
 良治はそう言ってくれたが、俺の願いは少し違っていた。
 「忘れていいよ。むしろ忘れた方がいい。ゆみりんにとって俺のことは、暴言吐かれて刃を向けられたこととセットになってるだろうしね」
 「……そっか」
 「寂しくなるな」
 寄り添ってくれる光太と良治の言葉が、ただありがたかった。


 数年後、ゆみりんが彼女の地元にあるバス会社でバスガイドをしている、という情報をネットで見かけた。元気でやっているようで、懐かしく嬉しい気持ちになった。
 時折俺は、姿見の鏡に映して脇腹の傷を眺める。
 今となってはまるで嘘のような不思議な出来事ではあるけれど、残されたこの傷が、確かに俺に起った夢の跡なのだと、ほろ苦さと共に思わせられるのだ。



 良治と光太が中心の、別の小説もあります。よろしければどうぞ。





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