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わたしの嫉妬論

“嫉妬”について書いてほしいというリクエストをもらったので考えてみました。


嫉妬とは、恋におけるスパイスのようなものだと思います。

全くかけないと物足りないけど、かけすぎると風味が一変してしまう。

素材の味を上手く引き立てるためには、ちょうどいい塩梅を知らなければなりません。

どれくらいの嫉妬が心地良いのかは、ふたりの関係性やそれぞれの性格にもよるでしょう。

この記事では、“恋愛の猛者”であるわたしの視点から、嫉妬について考えたことをまとめています。

※ 個人的には「嫉妬は邪魔もの」と考えているため、一般論に当てはまらない、少し極端なところがあるかもしれません。

嫉妬と自信の関係

恋人を嫉妬させたり、恋人に嫉妬したりする行動には、どのような背景があるのでしょうか。

わたしはこれについて考えた時、自分自身やふたりの関係性に対して自信がないからではないか?との見解に至りました。

土台が不安定な時ほど、嫉妬という感情を介して相手をコントロールしたり、自らの地位を確かめようとしたりするものです。

自分自身やふたりの関係性に対して揺るぎない自信があるのなら、あえて確かめるようなことをする必要はありませんよね。

つまり、「嫉妬と自信は反比例する」ということです。

ダイヤモンドは仕掛けない

わたしは「自分はダイヤモンド」「捕まえてごらんなさ〜い」というマインドで恋愛をしているので、分かりやすく嫉妬をさせることは好みません。

ダイヤモンドは「わたしってモテるんだよ?誰かに取られちゃうかもよ?」なんて言わないですよね。

アピールなどしなくても引く手数多なのは明らかですから。

わたしが恋人に嫉妬のようなことをさせるとしたら、言葉や行動によって露骨に仕掛けるのではなく、“わたしという存在単体で”受動的に焦りを感じさせる方法を選びます。

逃げも隠れもしないけど、余裕たっぷりに輝くわたしのオーラを浴びさせて、「他の男に奪われる前に俺が頑張らないと!」とあわあわさせるくらいが心地良いのです。

嫉妬は邪魔もの

前述の通り、わたしは「自分はダイヤモンドである」という矜持を保ちながら恋愛をしたい方ですし、自分に自信のある男がタイプです。

そのため、自分が男に嫉妬をすることも、男が自分に嫉妬をすることも、流儀に反する気持ち悪いものという認識になります。

「嫉妬と自信は反比例する説」と「自分の恋愛流儀」に従うと、恋愛関係においてあからさまな嫉妬はテクニックになるとは思えません。

わたしの恋愛観では、嫉妬は邪魔ものに感じられるのが現状です。

(リクエストをもらうまで、嫉妬について意識して考えたことがなかったのはそのせいかも?)

まとめ

このnoteを書いていて気づいてしまったことがあります。

こういうふうに考えている自分が1番嫉妬深いのでは?ということです。

つまり、自信もないんだろうなあ…。

結局わたしは、ダイヤモンドのふりをしたそこらへんの石ころに過ぎないのかもしれません。

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